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2013年9月23日 (月)

伯母と無花果

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子どもの頃、家の庭には今はもうないイチジクの木があり、よくもいで(取って)食べた。イチジクの木は2本しかなかったが鍋1、2杯分は毎年収穫ができた。生のイチジクは遊びの合い間のいいおやつ変わりだった。

熟れたイチジクをもぎ取ると、直後の茎断面には乳白色の液体が滴のように湧き出る。生命の滴りだ。もぎ立てのイチジクはどういうわけか、少し気恥ずかしい気がした。

そのイチジクを亡き伯母は毎年、鍋で煮た。ひたひたの水に味付けはたぶん、しょうゆと砂糖。出来上がったイチジクはあめ色になり、冷めてからますますおいしくなる。冷蔵庫のなかった時代。台所の食器箱の戸を開けると、どんぶりに盛られたイチジクが置かれていた。限られたおこずかいを使い果たしたわたしはイチジクを摘むと口に運んだ。

そのイチジクを料理した伯母が亡くなってから、ずい分になる。伯母は病気のこともあり嫁ぐことなく、終生家に残った。時代はこの国の高度経済成長時代。親に代わって、子どもたち(兄弟や親戚)の面倒を伯母はよく見た。晩年、病気になる前まで伯母は家まわりの草取りをした。近づいたわたしに気づくと伯母は草取りの手を休め、分厚い老眼鏡を上げ、わたしを見やった。そんな写真が1枚残っている。

わたしが居なくなればこの伯母を語る者もいなくなる。イチジクから思い出す記憶である。

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