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2013年3月

2013年3月31日 (日)

ファット ア ワンダフォー ワールド!

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三月の終わりの朝、雪が舞う。でも、地面は暖かくなってきたので積もることのない雪である。窓の外を眺めながら清涼感4の目薬をさす。ちなみに清涼感は5段階、1が弱く5が最大となる。目薬を点してはファット ア ワンダフォー ワールド!新世界である。


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2013年3月30日 (土)

風は冷たい

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ほどほどだいい天気が続いているが周囲の山に残る雪のせいか風は冷たい。そんな日中、シェフは家のまわりの庭の手入れに余念がない。庭の土には冬場の積雪で洗われた小石がたくさん顔を出しており、シェフはそれを丹念に集めてはバケツに入れた。

地面から流された土は排水溝に溜まり、それは再び元の場所へ戻されたり、或いは排水溝から更に流れ大きな水路へと向かう。ただ、水路から川、ついには遠い海へ・・とまでは何十年かけても行けそうにないと思うのだ。


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2013年3月29日 (金)

目薬を買いに

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スギ花粉が真っ盛りだ。目がかゆい。明日こそスッキリ、クールな目薬を買いにゆこう。



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2013年3月28日 (木)

ふきみそ

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シェフがふきみそを作った。廊下に広がる匂いの素はこれだったのだ。炭水化物をなるべく避けているわたしはふきみそに無関心を装った。



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2013年3月27日 (水)

a.m.6:45

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朝の光も春になる。起きぬけに遊ぶ。



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2013年3月26日 (火)

朝の雪

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早朝、雪が舞ったらしくカーテンを開けたら庭の所々が白くなっていた。すぐに消える雪だが、桜までにはまだ時間がかかりそう。



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2013年3月25日 (月)

春の苦味

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春の苦味も庭に顔を出しはじめた。この時期、郊外に車を走らせると田んぼのそこかしこで停められた車を見かける。皆、フキノトウ狙いである。苦い苦いと言うと叱られるので平然と食べなければならない。



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2013年3月24日 (日)

春へ

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春を少しでも早く呼びたくなり、マリナーの「四季」を聴く。いつだったか来日中のマリナーの指揮をテレビで見る機会があったが、指揮台に立ったマリナーの頭髪は寝癖でもついたかのような状態でその人柄を思わせた。

マリナーの指揮は端整で小気味がいい。大げさにならないので聴く方も構える必要がない。モーツァルトなんかもとてもさりげない演奏をする。気持ちも自然と軽くなる。だから、春へ。


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2013年3月23日 (土)

寒い一日

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朝から日は射しているのだが気温が3~4℃までしか上がらない。背中がぞくぞくと冷えるので、衣類を増やす。熱いお茶を飲む。炬燵に首まで入る。



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2013年3月22日 (金)

光溢れ

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昨日の雪からはうって変わり、イナカーナに春の光が溢れた。平野を囲む周囲の山々に残る雪が眩しい。天気に誘われハンドルを握り、海坂へ散髪に向かう。





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2013年3月21日 (木)

再びの雪

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タイヤを交換し、家周りの風除けも外し、床下の換気口も開けたところへ再びの雪になった。吹雪きもこれで見納めと願いたい。



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2013年3月20日 (水)

“おはぎ”ではない

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昨日のキッチン、どことなく落ち着く日なたのような匂いがしていたと思ったら小豆が煮えていた。そして今日、墓参りに合わせた「おはぎだ!」と言ったら「これはぼたもち」とシェフから訂釘を刺された。「秋に咲く萩の時が“おはぎ”で、春は牡丹でしょ、だから、“ぼたもち”」というわけである。

そこで、「ぼたもち」の作り方のおさらい。
①小豆を煮る。一度沸騰させたら、水を捨てる。改めて小豆がくぐるほどの水を入れ,
   コトコト中火で煮る。途中、一度火を止め、さます。再び中火で柔らかくなるまで煮る。
②もち米を炊く。水分は少し少なめで炊く。
③小豆をヘラで適当に潰す。砂糖を適量入れる。塩をひとつまみ入れ、味をととのえる。
④もち米をすりこぎで潰す。8~9割潰し、残りの米粒を残す。軽く握る。
⑤片方の手のひらに小豆を少しのせ、そこへ握ったもち米を置き、多めの小豆で包むように 
  握る。

こしあんより食べ慣れた歯ざわりのあるつぶあんに一票!



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2013年3月19日 (火)

ゴンドラ委員会

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ヴェネチアでゴンドラに乗った時、船こぎが歌ってくれたのは有名なナポリ民謡だった。地理的なものを日本に置き換えたとしたら、北海道で九州の民謡を聴くようなもの。日本だったら違和感は当然ある。

どうもこれは日本人観光客に原因があったらしい。どうやら日本人がナポリ民謡である「オーソレ・ミーヨ」や「フニクリ・フニクラ」をヴェネツィアのゴンドラで歌い、また船こぎにリクエストしたためそーゆーことになったと言う?

そこで、このことを遺憾に思ったヴェネツィアのゴンドラ委員会は2010年、ヴェネツィア文化の保護に立ち上がり、ナポリ民謡のリクエストを断ることにした。

さて、その後どうなったのかまでは確認していない。そのためにも次にヴェネツィアに行く機会があったら、是非ともゴンドラに乗らなくては・・。


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2013年3月18日 (月)

塔の建設

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花粉が飛び始めている。薬を呑んでから10日あまりだが毎日が眠い眠い。おかげでベッドに入るとすぐに眠ることができる。その夢の中で、現在わたしは塔建設に従事中である。さあ、今夜は何を運ぼうか・・。



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2013年3月17日 (日)

灯油の追加

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桜の開花のニュースを目にしはじめた。例年より少し早いのだろうか・・。イナカーナは例年、東ノ都よりひと月遅れくらいで桜は開花する。たぶん、東ノ都周辺で育った人は卒業や入学の時期に桜が重なっていることだろう。成長の途中、区切りの背景に桜が咲いていることは大きな印象や思い出となる。羨ましいことではある。

さて、イナカーナは桜が咲き終わり、田植えのシーズンまで寒いことがよくある。そこで、灯油をドーンと注文した。暖かくなるまで、まだしばらく時間がかかる。



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2013年3月16日 (土)

うつらうつら

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日陰を除いてもうあらかた雪は消えたが天候は不順。用があり街へ出かけ、車で乗せてきた家族を待つことになった。そのうち、雷と共に強い風と雨がやって来て嵐のようになる。その嵐の中で、昼食のすぐ後だったこともありうつらうつらする。小一時間待っているうちに嵐のような天気が去る。朝晩がまだ氷点下の三月。



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2013年3月15日 (金)

ペペロンチーノ

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天気がいいので窓ガラスを拭く。何度もタオルを洗い、絞り、窓ガラスを拭く。昼食はペペロンチーノ。午後、ニンニクの息をまき散らしながら、家の外回りの片付けをする。

この前、レストランを舞台にしたドラマを見た時、“貧乏人のパスタ”ということでペペロンチーノが出てきた。あれだけの料理アドバイザーが付いているのなら、もっとおいしそうに見せてもいいのにね・・。きっと、演出は料理の見せ方まで頭がまわらず、アドバイザーもそこまで強く口出しできないのだろう。少し残念ではある。



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2013年3月14日 (木)

コレクションの消失

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かくて、冬のコレクションは全て消失してしまった。雪のキャンバスと再び出会うにはこれから9ヶ月の時間が必要となる。



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2013年3月13日 (水)

シェリングのバッハ無伴奏 55年もの

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雨で雪が見る見る融けてゆく中、バッハを聴く。シェリングが録音で残しているバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータは2度あり(たぶん)、最初は1955年、パリでのモノ録音。2度目が1967年のスイス、こちらはステレオ。2度目の録音はDGG(ドイツ・グラムフォン)よりレコード、CDと出され、わたしが最初に気に入ったバッハの無伴奏ヴァイオリンになった。以来、シェリングの演奏が他の無伴奏の好き嫌いのモノサシとなった。

幾年月がありまして、気にかかっていたシェリングの最初の無伴奏。なんとか手に入れ聴いてみたのだが高音が耳に痛く、満足に聴けることができなかった。そして、ようやくモノラルカートリッジが手に入り、まともな状態でモノラル録音の無伴奏を聴くことができた。

67年の演奏が技術、経験、余裕といった完成度の高さだとしたら55年の演奏にはシェリングの集中力と熱意溢れた若さがある。青白い炎が暗闇で燃えているような・・・シェリングの無伴奏55年ものにはそんな魅力がある。


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2013年3月12日 (火)

日射し

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ようやく日射しが降り注ぐ。こんな天気も久しぶりで気持ちもずいぶんと明るくなる。



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2013年3月11日 (月)

大きな耳

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あの3月11日から2年が過ぎても震災からの復興は思うように進まず、コンクリートから人へ舵を切った政権が存在したこともあり、機械も人も行政もすべてに足りない。突然、家族を失った多くの人は心の空白を埋めることができずに今に至っている。そして、原子力という怪物に土地を追われた人は自分の土地へ戻れる日さえ不明だ。ならば、もっと大きな耳、それらを聞くダンボの耳が欲しい。



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2013年3月10日 (日)

嵐の朝

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強い風で朝から嵐のような天気。外は暗くまるで夕方だ。ウォーキングを止めにする。こうなると、音楽を聴くか読書或いは掃除。掃除は億劫なので却下する。



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2013年3月 9日 (土)

PPM

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最近、目に、耳にするPM2.5。毎年、春になると車が黄色くなり車を洗う。スギ花粉に黄砂、今年からは大陸からのPM2.5がこれに加わることになる。かつて、この国も高度経済成長の時代、四日市ぜんそくをはじめ大気汚染や公害に苦しんだ経験がある。この経験と技術をあの国にも学んで欲しい。

さて、PPM (ピーター、ポール&マリー)の1967年の来日時のライブ音源が『PETER,PAUL,AND MARY  Live In Japan,1967』というタイトルでワーナー・ブラザーズより3月6日に発売された。1967年、わたしは赤ちゃん歩行器の中でヨダレを垂らしていた頃なので何も知らないが(冗談である)、PPMはベトナム戦争を背景とする反戦の歌から童話のようなパフまでをギターを抱えはじめ60年代の若者たちに欠かせない存在だった。ディランのように悪ぶるフォークシンガーと違い、PPMはこの風貌からもわかるように紳士的なグループだった。

この来日コンサート音源は生々しく、熱い拍手は耳に痛いほど。厚生年金会館の広いステージ幅さえ実感できるような録音!たくさんの観客たちがが息を殺してPPMの歌の出だしを待つ気配さえも感じられる。歌っている最中に思わず拍手してしまったのは、あなたが知っている誰かかもしれない。

同じ1967年、ミニスカートのツィギーも来日している。ビートルズがおそろいのハッピを着て、羽田の飛行機タラップを降りたのが前年の1966年。当時の青年たちは果たして荒野をめざせたのかどうか・・・。


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2013年3月 8日 (金)

モカ

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今朝、歩きに外に出たら手袋の必要がなかった。より、花粉が近くなる。

珈琲豆がマンダリンからモカへと変わる。モカもおいしい。



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2013年3月 7日 (木)

世界を広くする

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日中の最高気温が10℃近くなり、雪がどんどん姿を消していく。そこで冬中使ったパイプ車庫を解体。カマボコ型の緑色のシートが無くなったおかげで世界が広くなった。





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2013年3月 6日 (水)

じゃじゃ馬ではない

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最近、小指が冷たい。炭水化物を十分に摂っていないからだろうか?まあ、腰に負担がかからないようにもう少し痩せることにする。

3月に入り、小さなスピーカーを手に入れたら、寸法に合わない白い手袋がついていた。わたしは比較的手が大きいほうだがそれでも指の先が余る手袋だった。欧州のスピーカーは美しさにこだわるせいか手袋がついてくることが多い。手袋付きもこれで3、或いは4度目になる。そりゃあ、誰しもずっときれいに使いたいが、スピーカーを移動したり、スペンサーやインシュレーターを挟んだりと傷つくことは多くなる。というよりも、ある朝、傷ついていることに突然気づく。

・・そうやって音を聴く男子は成長してゆくのであーる。今回は英国のスピーカー。奥ゆかしくて自然で、細身な音がする。決して、じゃじゃ馬ではない。


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2013年3月 5日 (火)

胸もと争奪戦

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冬もだいぶ、弱ってきた。そろそろ花粉の準備をなくてはと思っているがあれは去年の11月のことだったろうか・・。

その日は首によく巻いていた赤いマフラーではなく、前の年に求めたかなり渋いマフラーをして買いものに出かけた。出かけた先は全国展開する大型ショピングモールである。この店には7つのスクリーンを持つ映画館も入っているが、あのサワキコータローが映画評で取り上げるような作品はほとんど来ず、ありふれた(客入り優先の)映画しか上映しない、ブーブー!

話をマフラーに戻そう。そのショピングモールの紳士服売場をうろついていたら、ある店員に「あららッ」と言われた。そういえば思い出した。この日巻いていたマフラーを一年前に求めたのが同じ売場で、販売した店員がそのあららッの人だったのである。たぶん、その年配の店員が自分で飾りつけ、個人的に気に入っていたマフラーをわたしが買ったということになる。支払いの時、そんなニュアンスがあった。

この時の渋いあららマフラー。今年の冬は赤いマフラーに王座を明け渡し、出番が減った。そして、マフラーによる胸もと争奪戦も春が近づき、いよいよ終盤に入る。






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2013年3月 4日 (月)

ある朝の出来事

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駅の雑踏の中、入り組んだ出入り口がたくさんあり、わたしは小一時間も駅をあっちへ行ったりこっちへ来たり、ついには途方にくれている。ツァーの移動中の出来事だった。はぐれた場所はエジプト。

しょうがない。もっと高いところからツァーの一行を捜そうと、わたしはスルスルと駅舎の雨どいを登った。ボーンのようだ。この際、エジプトに果たして雨どいがあるかどうかは問題ではない。長い雨どいを登りきったてっぺんにひと抱えもある丸い石があり(彫刻された模様が入っていた)、邪魔なので地上へ落とした。ストーーンと石は落ちていった。地上へ落とした石を肩越しに確認し、顔を上げたら子どもの顔が目の前にあった。どうして、石落としたんだよ!とエジプシャンの子どもは不満気に顔をつき出している。雨どいに両手をかけたまま、わたしは早く屋上へ身を移したいのだがその説明が出来ない。余裕がないなりに相手を観察すると子どもは手にスケッチブックをもっている。他にも数人の子どもがベンチに座りスケッチブックを開いていることから彼らは屋外授業で、どうやら目の前の子どもの写生対象の中に丸い石も含まれていると気づく。

それにしても、わたしはこんな状態だ!どうにか屋上へ体を上がらせてくれと子どもに頼むのだが、ここはエジプト、しかも両手は雨どいにつかまったままだ。目で子どもに訴えるのだが・・。

・・ふぅー、こんな夢を見た。



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2013年3月 3日 (日)

汚れたハクチョウ

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いい天気と吹雪きが交互にやってきたものの、雪の下から焦げ茶色の田んぼが顔を出すようになった。ハクチョウたちもそろそろ北へ帰りはじめ、その準備に余念がない。余念と言ってもエサを一日中探すことだが、顔を出した田んぼでゴミ袋のように羽根や体を茶色く汚しては時々空を眺めるのだった。


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2013年3月 2日 (土)

等伯とデザイン

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小説『等伯』を読んでいたら、長谷川等伯が他にどんな絵を残していたのか興味が沸き『もっと知りたい 長谷川等伯 生涯と作品』(東京美術・刊)を求めた。小説を読みながら、絵も見るとさらに面白い。

等伯は若き絵仏師時代から絵に落款を書き入れている。絵師としての実力、自信からくる強い自己の存在がそこにはある。後年、等伯は狩野永徳をライバル視するが残された寺の障壁画を見ると大胆な構図と繊細な色使いが感じられる。一方、狩野派はデフォルメが激しいく、逆に自派のスタイルにますます捉われているようにも見える。

『等伯』に戻ると秋草を等伯が描く際、花のひとひら葉の一枚を描いていくうちに精密さから花も葉も図案化になっていくと安部は書く。精密に写し取るよりも、花や葉の本性を象徴的に描いた方がより本物らしく見えるとある。著者は“無意識に記号として識別”としているが、これはデザインに繋がる。

<千利休像>も等伯の作品だと知った(今まで知らなかった)。画いたのは利休が亡くなった後のこと。この利休の顔、志村喬(黒澤明の生きる)に似てる。見るたびにそう思う。


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2013年3月 1日 (金)

等伯

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『等伯』(日本経済新聞社、2012年9月刊)は<松林図>で知られる長谷川等伯を主人公とした安部龍太郎の小説。時代は戦国、七尾(石川県七尾市)で一介の絵仏師として修行していた長谷川信春が京に出て、狩野永徳と競いながら等伯として名を馳せた生涯を描いている。

信長の比叡山焼き討ちをはじめ、見るに耐えないものまで見てしまう性分の信春(等伯)の行動は見ることによって物や人の真実を確かめたい絵に憑かれた業と言える。

そういえばダ・ヴィンチも首吊りをスケッチしたり、人の解剖に立ち会っている。その手で慈愛に溢れたマリアも、そのマリアに抱かれた幼子キリストも画いた。また、『等伯』ではダ・ヴィンチの<モナ・リザ>の模写を<ジョコンダ>として紹介し、信春が目にすることにも触れている。

知ってる?先斗(ぽんと)町の由来。七尾では御馳走のことを“ごっつぉ”(イナカーナも同じ方言を使っていた)と言ったり、帳簿が複式簿記(ヴェネツィアで開発されたもの)としてすでに伝わっていたとか、由来や細部もさりげなく面白い。

等伯は愚直にして粘り強い。秀吉と等伯の最後の勝負<松林図>まで安部の筆致も等伯に負けずに粘り強い。



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