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2013年1月29日 (火)

『冷血』

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週刊誌を読む習慣が無くなり久しい。20代まではそれなりに読んでいたが30代に通勤が電車から車に変わることで購入の機会はなくなり、中刷りを見る愉しみを失った。

週刊誌を“金、権力、女”と評したのは『14歳からの哲学』の故・池田晶子だったろうか・・。的を得たその言葉に思わず唸った覚えがあるが週刊誌はつくづく人のそれも男の“欲望”をくすぐる媒体なのだろう。となると、週刊誌を読まなくなったわたしは欲望が後退して久しいとなるのか・・。

髙村薫の『冷血』(上・下巻、2012年11月発行、毎日新聞社)は「サンデー毎日」(2010年~2011年)に連載された。『冷血』と言ったらカポーティ。扱う題材からからして意識はあったろうと推測する。小説の題材において殺人はとりわけ関心が高い。テレビドラマではうんざりだが作家というものが描く殺人は数多ある他の死とどう違う意味を持つのかが問われる。

さて、『冷血』である。主人公の刑事・合田雄一郎も畑仕事に関心を持つ年代となり、現場をまとめる係長という立場に立っている。事件まで、事件後の髙村の描写は以前にも増して綿密となり、まるで仕事そのものに携わっているかのような具体の列挙である。と同時に東京周辺の土地、道路、街の姿などは大阪在住の作家が書いたものとは到底思えないほどのリアリティだ。(余談だが吉田修一の『悪人』の土地の描写も優れていた)

<とまれ、ともあれ、土台、否>と言った言葉で高村は文章を繋ぐ。その多くは合田雄一郎のさまざまな感情の流れなのだが著者である髙村のいらだちや苦渋、否定と言った自問そのものだ。この多さが社会の、現代の、事件の、そして犯罪を犯した者へ対峙する作家の問いと思える。まさしく否、否、否である。

髙村薫はますます情を排除し、時代を人を苦しく映していく。



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