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2011年7月

2011年7月31日 (日)

余震のち歌

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震度2位の余震が未明にあり、起きる起きない迷いながらベッドにそのままいた。しばらくして部屋に面した道路からのざわめきで目が覚めた。ざわめきは自転車を停める音や子どもたちの話し声。州庁舎の建物からの反射で音は増幅された。やがて、聞こえてきたのはラジオからの元気な声で、歌がはじまった。

この夏は朝の目覚めが良くないのか、<朝のラジオ体操>に間に合わない。なので“新しい朝”の鮮度が落ちている。

(写真はイタリア、アレッツオ)

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2011年7月30日 (土)

フクミミの午後3時

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午後の3時と言えばオヤツの時間。エアコンを最強にした離れから本宅へ足を運んだフクミミはその辺に置いてある菓子を捜し当て、意気揚々と離れへ戻るのである。

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2011年7月29日 (金)

黄色いメロン

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子どもの頃はウリと言って食べていた。その頃、網目の入ったメロンは砂丘地で日々、品種改良に追われていた。だから、表面がツルツルの薄い緑や黄色のウリの皮を剥き冷蔵庫で冷やし、フォークを立てた。

夏は果物でよーく太ることにしている。

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2011年7月28日 (木)

ようやくの雨

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夜半から降った雨は朝方まで続き、ようやく田畑を潤した。起きたての金魚も水面の雨に喜び、遠くまで泳ぎはじめた。一晩で水かさを急激に増した川はその茶色の濁りを河口から海へと吹き出した。

三日前くらいからヒグラシが鳴き、蝉はとんと鳴かない。それこそ外や内からのさまざまな要素がからんでは、現象にづれを起す。

人が急激に増え、欲望は欲望を生み、情報は加速する。知らないままに雨がセシウムを運ぶ。

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2011年7月27日 (水)

キリリッ!

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メダカが池の掃除をする。池の水が蒸発し、底が見えるほどに長らく雨が降っていない。金魚が水面でパクパクしはじめたのでジョウロで水をやる。しかし、雨ほどの効果はない。いつも水目当ての鳥たちも、羽音をむなしくパタパタさせては帰る。

暑中お見舞い申し上げます。暑さに負けそうだが、キリリッ!

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2011年7月26日 (火)

AN APPLE A DAY

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「食べたわ、おいしかった。検疫があるでしょ!」とツアーで一緒だった金さん。ボローニャからウィーンへの機内でおやつにりんごが一個でた。<AN APPLE A DAY>と印刷された紙袋に入っていた。品種なのだろう、小さい。

「帰国して家族に見せたら喜ぶだろうな」と金さんに無理かと訊ねたが、つっぱねられた。金さんはルールにも厳しい。

ウィーンでの待ち時間。ドイツ人で満席の待合室で惜しい気持ちをこらえて食べる。オーストリア航空の小さなりんごは普通のりんごに負けないくらい・・うまい。

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2011年7月25日 (月)

紫陽花の夏

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原田芳雄が亡くなった。もう、ずっと昔、ある大学の学園祭で彼のライブを聴いたことがある。ディランⅡの<プカプカ>や美空ひばりの<りんご追分>が印象に残っている。<りんご追分>では歌の合間にセリフが入るのだが、原田はそれを勝新太郎の座頭市のセリフに変え、会場を沸かせた。

「おれたちゃナ、ご法度の裏街道を歩く渡世なんだぞ。いわば天下のきらわれもんだ・・」セリフの通り、原田は独立系の言わば予算の少ない映画でアウトローとして存在感を十分に示した。独立系なので上映する映画館は少なく、小さなドームだったりもした。それだけにそこまで足を運ぶ観客は熱心なファンだったと言える。

学園祭のライブ、バーボングラスを片手に原田は「あれは、いったいなんなんですかね!」とこの頃、出はじめたプチトマトに不満をぶつけていた。あの小ささに、存在する意義に、或いは皿の上でのプチトマト自身の立ち位置に、アウトローはどうしてもプチトマトが許せないようだった。

新宿駅東口から少し歩いた場所にある有名な本屋。その本屋近くの居酒屋にこれも昔、友人と入ったことがある。着いたテーブルのすぐ近くに座っていたのが黒いサングラス姿の原田だった。松田優作もそうだが当時のアウトローは夜でもサングラスで世にはばかることになっていた。
待ち合わせ時間より早く来たせいか、ひとりテーブルに座る原田はどこかぎこちなく時間を潰していたと記憶している。

近年のテレビドラマでは<不毛地帯>(フジ)の豪胆な商社社長、<火の魚>(NHK)で
の作家が良かった。<火の魚>での路地でポリバケツを蹴飛ばすシーンのなにげなさ。また、最後のセリフ「あぁ、タバコ吸いてぇー」が役である作家以上にその人となりを匂わせた。野太い声とぶっきらぼうがこれほど似合う役者もいなかった。

遅い紫陽花が咲く夏。

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2011年7月24日 (日)

最後の晩餐、そして見果てぬ夢を

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フィレンツェ、最後の夜。突然の午後の雨を愉しんだ後、8時過ぎにホテルに戻る。帰りにスーパーに寄り、ミネラルウォーターとエビとチーズのサンドウィッチを求める。今回の旅行では外食ばかりだったので、終いは一人つつましく<最後の晩餐>である。

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毎夜、疲れて、最後は見果てぬ夢を・・。

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5月下旬から長いことイタリア旅行のことを書いた。多少飽きたが、ご覧いただいた方はもっと飽きたことだと思う。しかし、日常から離れた旅はとても面白い。ここで区切りをつけ今後は思い出したことなど単発で紹介していくことにしたい。

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2011年7月23日 (土)

歩く女

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土地っ子はヴェッキオ橋の真ん中を軽やかに、観光客はまだ出合っていない風景や捜しものをするかのように端を歩くのさ。

(フィレンツェ ポンテ・ヴェッキオ)

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2011年7月22日 (金)

フィレンツェの夜を

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人通りの少ない裏通り、
たぶん、用済みの椅子、
派手な色の菓子、
混んでいた大道芸、
まだ人の多いドゥーオモ付近、
石畳の小さな広場、
そんなフィレンツェの夜を歩いた。

(フィレンツェ)

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2011年7月21日 (木)

消えた男

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<消えた男>、確か、そんなタイトルの小説もあったがツアー旅行者にそんな不可解な出来事はある筈もなく・・。

五年前にフィレンツェのある広場で2枚の水彩画を求めた。ドゥーオモ、ヴェッキオ、レプップリカと回った末に見つけ、気に入った絵だった。観光客向けのお決まりの構図のドゥーオモとヴェッキオだったが、誇張のない繊細な水彩画だった。

その時、描いた男性本人に絵を持ってもらい記念に写真を撮った。今回の旅で再びフィレンツェを訪ねることになり、この時の写真をプリントし持参した。もし再会の機会があったらあげようと思ったわけだ。

結局、捜せども捜せども彼を見つけることはできなかった。男は街を移ったか、国を変えたか、或いはもっと別の人生を選択したのか・・。

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(フィレンツェ レプップリカ広場)

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2011年7月20日 (水)

ポツポツと

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街中にある小高い山の小さな森に足を踏み入れた途端、ポツポツ、ポツポツポツとあたり一面に音がした。こんな天気におかしいなと木がない場所に戻り空を見上げても、天気雨の気配はなかった。しかし、森の中に入ると再び間断のないポツポツがはじまった。

思い当たることはひとつ。よく見れば葉脈を残しただけの葉から、音の出どころはおそらく毛虫だと推測された。家の周囲でもそうだが、街中のこの森でもアメリカシロヒトリの毛虫が葉を食い散らしていた。ここ何日かで一斉に孵化した毛虫は今や体長3センチほどになり、風に乗っては森の木々に拡がった。

シェフに取材したところ、あのポツポツは葉を食べている音ではなくフンを落としているポツポツだと言う。このまま毛虫が成長し蛾になったとする。森はアメリカシロヒトリに覆われたまっ白な斑点の森になる。ポツポツ、音がまたもや迫ってきた。

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2011年7月19日 (火)

コンテスト

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頭に保冷材を巻いて夏を過ごしている。ケーキや生ものについてきた保冷剤を凍らせたヤツだ。保冷材が似合う男コンテストがあったら入賞も夢ではない。入賞賞品はスイカか図書券で構わない。

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2011年7月18日 (月)

水ようかん

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やはり、夏は水ようかんである。出かける用事にかこつけて、いそいそと買いにゆく。この時期、冷蔵庫は満杯だが、隙間を作って水ようかんを押し込む。お茶は熱い緑茶にしようか、それとも冷たいむぎ茶。

すだれは下げたが、風鈴が見つからない。暑くて、さがすのが億劫になる。

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2011年7月17日 (日)

階段の有効な使い方について

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「さぁ、みんな、食べ終ったらゴミはこの袋に入れるのよ。いいわね」
子どもたちを前に先生は声を張りあげた。ここはサンティッシマ・アンヌンツィーア広場に面した<捨て子養育院美術館>前の階段。養育院の見学を終えて少し前に記念写真を撮った園児たちは、喋ったり食べたり、元気な男の子はハトを追いかけまわしたりと騒がしい。



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そんな中、隣りで新聞渡しがはじまり、梱包された新聞が手から手へと宙を飛ぶ。ボクもやりたいなという顔つきで園児は見るのだが、ここで大人の仕事を奪ってもなと声はかけない。



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園児たちのそばに座った赤いパーカーの女の子は園児たちに合わせたかのようにお菓子を食べ終えた。「でも、間違えないでね。あたしは小さく見えるけど園児じゃないのよ」とスケッチブックを再び開く。熱心に描きはじめたので、こっそり覗いたらユニークなキャラクターの絵が何点か・・。

<捨て子養育院美術館>前の階段ではさまざまな子ども模様がうずまいている。

(フィレンツェ サンティッシマ・アンヌンツィーア広場にて) 

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2011年7月16日 (土)

シェフ 梅を求める

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7月だというのに暑い毎日が続いている。そんな中、シェフは2箱の梅の実を購入し、夏の梅干しづくりに入った。年がら年中暑い<ポーの国>に住んでいるメイ・ヨークに食べてもらうためである。

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2011年7月15日 (金)

描く女

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フィレンツェを毎夜歩く。そんな中、レプップリカ(共和国)広場がすぐそこという通りで路上絵に出会った。ダ・ヴィンチの<白テンを抱く貴婦人の肖像>を描く女がいた。少し見ていたら彼女がそばの若者と交わした言葉は日本語だった。

「写真を撮らせていただいていいですか」許可を取ると「どうぞ」とあった。数枚ほど撮り、そばに置かれたトレイに気持ちばかりのユーロを入れた。礼を言うと「いいえ、どういたしまして」と彼女は答え、再び手を動かしはじめた。

(フィレンツェ レプップリカ広場付近)

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2011年7月14日 (木)

10日目 フィレンツェの雨

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フリータイムの日、午後、早い時間にホテルに戻り少し仮眠を取った。目覚ましで3時過ぎに起きると、街へ出かけた。ドゥーオモが見えたあたりで突然大きなカミナリの音。その途端、広場周辺の鳩が一斉に地上から飛び立った。レプップリカ(共和国)広場を過ぎた頃、雨が強くなり傘をさす。ペルージャ以来、この旅で二度目の雨だ。

ヴェッキオ橋、両側に並ぶ宝石店のうすいオレンジ色の灯りの間を進む。橋終わりの交差点を渡ったすぐ左にサンタ・フェリチタ教会はある。ヴァザーリの回廊から内部を見下ろした教会。この教会、正午から午後4時まで見学ができない。そこで時間に合わせて出かけてきたのである。目的は教会内、カッポーニ礼拝堂にあるポントルモの<十字架降下>と<受胎告知>である。

ポントルモを知ったのは2008年、小学館から出た<ルネサンス美術館>でだった。ポントルモの<十字架降下>の一部分がトリミングされ、この大きな美術本の表紙カバーを飾っていた。十字架をから降ろされたイエスを肩に乗せた少年が驚きと悲しみの入り混じった表情を浮かべる。金髪の巻き毛の少年、最初はてっきり女性かと思ったが、体がたくましかった。しかも、少年の背中の色がうすいピンクなのである。ピンクの子豚じゃあるまいし、・・理解できなかった。

本によるとポントルモは「マニエリスム」の画家とされる。マニエリスムは盛期ルネサンス以降のイタリア美術の手法・様式を意味する「マニエーラ」から派生した。精緻で技巧的、奇想におぼれた印象を与えるが、さまざまな美の可能性を形態や構図、様式のゆらぎの中に見い出そうとしているとある。

そういわれて見ると、この少年の背中がピンクでなかったら、彼の表情と相俟った強い印象がこれほどまで迫ってこないと言える。十字架から降ろされたイエスとマリア、それを囲む人。マリアの青の衣を効果的にピンクが囲む。<十字架降下>の絵全体をこの少年と彼の背中のピンク色が支えている。

この絵があるカッポーニ礼拝堂は暗い。お金を入れると灯りが絵を照らす仕組みになっている。観光地で覗く望遠鏡、あるいは安ホテルのテレビのような・・。

さて、<十字架降下>の右隣りに<受胎告知>がある。この天使だが空気をはらんだオレンジとピンクの衣をまとう。ふくよかな体と傾げた首の天使、天使というよりは女中か子守り女に見える。小さな羽根でかろうじて天使とわかる。

ここでも交わされた言葉を勝手に入れてみる。
天使ガブ「エへッ、あたし、来ちゃいました!マリアさま、実はですねー」
マリア  「あなた、もう少し落ち着きなさい。それから、ゆっくり話しなさい。どう、わかった?」
どことなく楽しそうな天使に、クールなマリアである。

そろそろ閉めますよというサンタ・フェリチタの雰囲気に押され、出入り口のドアを後ろ手に閉めた。見上げると教会入り口の天井アーチに切り取られた空があった。上がらない雨と空を、しばらくここで見ていた。

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(5月21日 フィレンツェにて)

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2011年7月13日 (水)

跳ぶ女

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「あたし、こーんなこともできるのよね」
レポーターの女はカメラクルーの準備を待つ間、軽ーく跳んで見せた。

(フィレンツェ ドゥーオモ前にて 6時20分a.m.)

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2011年7月12日 (火)

9日目 サン・マルコの庭

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フリータイムの日、朝一番でやはり、サン・マルコ美術館(修道院)を再訪した。目的はフラ・アンジェリコの<受胎告知>である。うす暗い階段から見上げる天使ガブリエルとマリアの清楚な絵が見たかった。天使の羽が光るのだ。それは羽全体ではなく、塗り込められた何かが光に反射したもの。まるで、光の粒子。

聖書によると、このシーンでは天使ガブリエルが
「見よ、あなたは身ごもって男の子を生むでしょう」と言い、
「わたしは主のはしためです。お言葉どうり、この身に成りますように」とマリアが答えたとされている。

そこで、サン・マルコの絵の印象からフラ・アンジェリコの<受胎告知>に交わされた言葉をあてると、
天使ガブ「(真剣に)あなたは神の子をやどされます。・・どんな気持ち?」
マリア  「神の子ねぇ・・ほんと?」
サン・マルコ2階の小部屋みっつ目に描かれたフレスコ画<受胎告知>なら、
天使ガブ「実はね、あなた神の子を産むのよ」
マリア  「あら・・、(不安そうに)そう、そうなの?」
ついでにウフィッツ美術館にあるダ・ヴィンチの<受胎告知>では
天使ガブ「(おごそかに)あなたは、なんと、神の子を身ごもるでしょう」
マリア  「その前に・・あなた、ずいぶんと真剣なお顔ね」
となる。さまざまな画家のそれぞれの<受胎告知>をセリフで愉しむ。

かつて修道院だった2階に並ぶ小部屋を順番に見てゆく。入り口は狭くロープが張られているから、数人いるとその肩越しに眺めることになる。何人かの学生は入り口に座り込み、描かれたフレスコ画の模写をする。邪魔しないよう、静かに静かに・・。

そういえば、ここサン・マルコはあのサヴォナローラが修道院長を務めた場所でもある。フィレンツェの腐敗とメディチ支配を批判し、ボッティチェッリの絵まで焼かせてしまう信仰に頑な修道僧。火の中を歩いても焼けないと主張した預言者サヴォナローラ。それが実行できずヴェッキオ宮、シニョリーナ広場で火刑にされた。そんな歴史を持つ広場が今は観光客で溢れる。サヴォナローラはフィレンツェのルネサンスを終焉させた。誰かがしなければならなかったとしても、これは時代の流れとも受け取れる。ルネサンスは理想が肥大し過ぎたのかも知れない。

サン・マルコの庭には周りにバラを咲かせた1本の大木が伸びている。もし、最初からこれだけの木に育つことを念頭にたった1本だけ植えられたとしたら、よーく考えられた庭である。

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(5月20日 サン・マルコ美術館にて)

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2011年7月11日 (月)

ドゥーオモに登る

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雨上がりの夕方、ドゥーオモ(大聖堂)のクーポラ(円蓋)に登る。日中、クーポラへのチケット売場に長い行列を見ていたので、開いている一時間前に再び訪ねた。幸い誰も並んでいなかった。階段は473段、シエナの<マンジャの塔>と同じくらい。さあ、登るぞ。

このドゥーオモにクーポラを架けたのはフィリッポ・ブルネレスキ。身長153センチでハゲ頭、短気で高慢で頑固な男とある。そんな男がフィレンツェの象徴とも言うべきドゥーオモに丸屋根を乗せた。登ってみると実感できるが、最終のクーポラ部分は二重になっており、その間の空間を手すりに頼りながら半円の急勾配を登る。

クーポラからは<ジョットの鐘楼>も近くに見ることができる。街は赤茶の屋根が広がり、その下には午後の雨の名残り、少ししっとりした通りが見えた。車も人も小さい。

ひと息ついていたら「閉館、30分前です」係員の声が聞こえた。新婚旅行のカップルが写真を撮り合っているうちに「15分前です」のコール。午後7時近いが太陽はまだ落ちず、夕焼けのフィレンツェを見ることは季節もあり叶わなかった。

クーポラを降りてから、再び内部の天井近くを半周。通路は狭く、すれ違える幅がないので、ゆっくりと天井画を見ることはできない。階段を降りながら定年退職したご夫婦と旅の話をする。そのご夫婦から十分働いた後の旅行の感激が伝わる。ドゥーオモ前でお互いの記念写真を撮って別れた。

「よい旅を!」

(フィレンツェ ドゥーオモ)

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2011年7月10日 (日)

アルノ川周辺

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3日滞在したフィレンツェ、陽射しのよい日はうきうきと

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街を流れる川はいい、街の表情が増す

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人は真似をする

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日の、街の、青く、赤く、穏やかに沈んでいく時間にいる

(フィレンツェ、 アルノ川)

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2011年7月 9日 (土)

ミケランジェロの十字架像

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フリータイム、少し歩いてサント・スピリト教会に入る。ここではリッピの<聖母子と聖ジョヴァンニーノ>を見た筈なのにその記憶がない。その絵が記憶に残らなかったのは、この礼拝堂でミケランジェロの<十字架像>を見たためと思われる。

十字架像は光に包まれていた。修復を終えたばかりという木像に礼拝堂、後方斜めの高い窓から光が差し込んでいた。反逆光である。十字架像は礼拝堂の中央に置かれており、ぐるりと回って見ることができた。この少年のようにほっそりとした体のキリスト、足首に釘が打たれ、額から血を流し、胸に槍の傷がある。その傷からも血が幾筋か流れていた。

前日、メディチ家礼拝堂でメディチの墓碑を飾るミケランジェロの<夕暮>、<曙>、<昼>、<夜>と名づけられた大理石の寓意像を見たばかりだった。<ダヴィデ>もそうだがミケランジェロの大理石像の多くは理想化された肉体を持つ印象が強い。

反して、ヴァチカンの<ピエタ>。こちらも若い時の作品。夜中に忍び込んで自分の名をピエタ像に刻んだのは有名な話。聞くと、ここサント・スピリトにある木像はミケランジェロ、17歳の時の作品ということだった。この<十字架像>にはミケランジェロの初々しく、敬虔な若い精神を感じる。今回の旅行の大きな収穫となった。

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(フィレンツェ、サント・スピリト教会)

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2011年7月 8日 (金)

8日目 ブランカッチ礼拝堂

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ピッテイ宮から人ひとりがやっと歩けるほどの歩道を少し歩くとサンタ・マリア・デル・カルミネ教会があり、ここのブランカッチ礼拝堂にマザッチョのフレスコ画が残されている。

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このフレスコ画はマザッチョとマゾリーノが手がけ、リッピが後に手を入れた。マゾリーノの感情のない、良く言えば古典的な表現に対し、<楽園追放>に見られるように大泣きのアダムとイブをマザッチョは描いた。ジョットから1世紀を経て、マザッチョがルネサンスの幕開けを示し、ダ・ヴィンチ、ミケランランジェロ、ラファエッロへと繋がっていくことになる。

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そして、ツアー見学も全て終わり、この午後から1日と少しフィレンツェでの自由時間が残された。

(5月19日 フィレンツェ)

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2011年7月 7日 (木)

フィレンツェのプリン

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「さあ、どうよ!」
プリンの声がした。
フィレンツェの狭い路地にある観光客の多いレストラン。
テーブルに運ばれた時にはすでにスプーンが入った大胆プリンに、
私は少したじろいだ。

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2011年7月 6日 (水)

8日目 パラティーナ美術館

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ヴァザーリの回廊の終点にあるピッティ宮。ピッティ宮はもともとピッテイという商人が15世紀に造り、その後メディチに買い取られ改修された宮殿である。見るからに重々しい。ボーボリ公園を望むピッテイ宮の中庭だが、かつて水を張り、ガレー船を浮かばせたことがあったそうだ。それほどピッティ宮の柱は太く、壁はゴツゴツと頑丈だった。

ピッテイ宮とボーボリ公園には7つの美術館と博物館がある。見学したのはパラティーナ美術館ひとつである。歴代トスカーナ大公のコレクションだそうでルネサンスからバロックの傑作が並ぶ。ラファエッロ、テッツィアーノの作品が充実している。

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ラファエッロの<ヴェールの女>はルネサンスの絵というよりは肌もヴェールも服も細密に白く時代が近代へ進んだかのよう。同じくラファエッロの<小椅子の聖母>は聖母子の肌、赤い袖、青い布の配色のバランスが見事。リッピの<聖母子>はトンドという丸い窓状の絵だが金色の額縁のせいもあり、とても豪華。この絵のキリストもリッピ描くところの子どもらしくない顔。カラヴァッジョの<眠るキューピット>、キューピットはまるで近所にいるわんぱく坊主。近づいて見ると暗闇に浮かぶ羽がとてつもなくうまい。

そして、テッツィアーノの<灰色の目の男>はここにあった。ゆったりした黒服を着、顔が小さいいい男。この肖像画のセンスの良さ。実物は目が輝き、知もある働き盛りの男を感じた。他にもテッツィアーノはあるが、肖像画の女性たちは本人以上に上品にかつ美しく描かれたそうだ。テッツィアーノ、商売繁盛なわけである。

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(5月19日 フィレンツェ)

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2011年7月 5日 (火)

8日目 ヴァザーリの回廊

朝一番でヴェッキオ宮そばのウフィッツ美術館に向かう。入館前、ウフィッツの<公認ガイドブック・全作品収録>を求める。以前、その重さを考慮し購入しなかった覚えがあるのでウレシイ。というのも昨夜、「ワインも入れて残り3キロ位の余裕だな」とトランクの重さをおおまかにに計算したのである。

ボッティチェッリ、ダ・ヴィンチなどルネサンスの巨匠たちの作品を解説もまじえて2時間ほど観賞する。つまり、コの字形のウフィッツィ3階の東部分だけをかいつまんで見ただけである。満足するほど見るには日を改めなくてはならない。ウフィッツだけで1週間かかるという話もある。

そして、予約した時間に<ヴァザーリの回廊>の扉は開けられた。うす暗い幅のある階段を降りはじめたら、入り口が閉められ再び暗くなり鍵がかけられた。30分ほど、このツアーの貸切りとなる。

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アルノ川を左下に見ながら進み、突き当たりを左へ。回廊は宝石商が並ぶアルノ川にかかるヴェッキオ橋の2階部分を進む。回廊に展示されているのは画家たちの自画像である。800点もの自画像!どの絵が印象に残ったかどころではない。窓の外の景色を気にしながら進む。

建築家でもあるヴァザーリはメディチのコジモ1世からの依頼により、1565年3月からわずか7ヵ月でウフィッツ(事務所)からピッテイ宮(メディチ家私邸)への全長1キロにも及ぶ回廊を完成させた。

これではヴァザーリもアレッツオの自宅に年に数日しか帰れないわけである。22歳年下のヴァザーリの妻、ニコラ・バッチはアレッツオでどんな時間を過ごしていたのだろうか・・。

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回廊の終わり近くに、王宮礼拝堂のサンタ・フェリチタ教会があり、内部を回廊から窓越しに見ることができる。そして、今回の旅行で最も見たかったポントルモのフレスコ画はここにある。その経過は後日。

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(8日目、フィレンツェ)

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2011年7月 4日 (月)

7日目 ヴェッキオ宮

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シニョリーナ広場の世界各国の人ごみを掻き分け、階段を上がりヴェッキオ宮に入ると小さな中庭がある。見上げると、メディチ家の紋章。丸い玉から丸薬だという説もある(メディチはメデッスンに由来する)。

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ヴェッキオ宮の五百人広間、文字通りとても広い。左右の壁に<ピサの攻撃>、<シエナの攻撃>と言う壁画があるが当初、ダ・ヴィンチとミケランジェロがコンペを行う予定であった。結局、ヴァザーリ工房の手による歴史画となったが絵の下の層にダ・ヴィンチの絵があるとか、ミケランジェロのデッサンが残っている話もある。

もし、そのコンペが実現していたらこの広間、ミケランジェロの<最後の審判>と天井画天井画があるヴァチカンのシスティーナ礼拝堂に負けない観光の目玉になっていたことだろう。

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ヴェッキオ宮、部屋を移動する度に次々と絢爛豪華な天井が現れる。説明も受けるも頭に入らず、天井見学の流れ作業状態となる。天井疲れである。なので、窓の外を眺めては気分転換をした。

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(5月18日 フィレンツェ)

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2011年7月 3日 (日)

フィレンツェのドゥーオモ

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誰もが見上げるドゥーオモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母寺)とも呼ばれる。白、緑、ピンクの大理石で作られたゴシック建築である。朝、昼、晩とその表情を多彩に変化させる。前に洗礼堂もあり、広場の見通しはよくない。左右の建物との間に余裕がないこともあり、観光客は狭い空間から見上げることになる。

ドゥーオモ奥にクーポラ(円蓋)、右隣りに<ジョットの鐘楼>がある。どちらも上ったことがなかったので翌日の自由時間までどちらにするか迷おう。

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(5月18日 フィレンツェ)

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2011年7月 2日 (土)

桃タロウ

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シェフ、若い時に桃タロウを演ったことがある。確か、園児に見せるための芝居だった。まだ、この頃はボクもボクもと何人もの桃タロウが園のステージに登場なんてことはなく、推薦されて主役を引き受けたと記憶している。

裁縫もできたので衣装は自分たちでこしらえた。額に桃マークが入ったハチマキをきりりと締めたシェフ・桃タロウはキジ、イヌ、サルを家来にし、ざんぶッと舟で海に出た。向かうは遥か海原に見える鬼ヶ島だァ。ちなみに舟はダンボール、舟底から下に出した足で荒波の海原をぐんぐんと進んだものだ。

鬼ヶ島に上陸したものの、当時から鬼たちは弱くてシェフ桃タロウたちはあっけなく勝利を納めた。エイエイ、オーッ!

「キビダンゴ、うまい?」鬼ヶ島からの帰途、園児に聞かれた。キビダンゴの本物がよくわからなかったシェフだが「たぶん・・」と答えた。

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2011年7月 1日 (金)

7日目 フィレンツェへ

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旅の7日目、午後、ついにフィレンツェに着く。ついにの意味はルネサンスの総本山であることと最終宿泊地になったことによる。ホテルはドゥーオモへ歩いて10分ほど、マリア・ノヴェッラ駅からひと通り裏手にあった。ホテル敷地ではジャスミンに似た花が香りを風に乗せ、空にはたくさんのツバメが舞っていた。

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おや、エフさんのような自由な人がここにも・・。

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ドゥーオモをはじめて見る観光客は、誰もが足をとめ一瞬かしばらくか見入ることになる。私も例外ではなかった。

今回の旅行、アレッツオから紹介をはじめてからすでにひと月も過ぎた。フィレンツェはなるべく簡単に終りたい。

(5月18日 フィレンツェ)

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