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2011年6月

2011年6月30日 (木)

7日目プラート リッピの女好き

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この日はフィレンツェへ向かう途中、プラートに寄った。プラートは先のブログでも触れたが近年、中国人が多く住む街。目的はフィリッポ・リッピの絵を見るためである。リッピは簡単に言えば修道僧なのに女好きで、ついにはある修道女と駆け落ちまでする。その修道女、ルクレツィアがとても美しい。

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リッピ描くところのルクレツィアをモデルとした聖母マリア。金と茶色の髪の曲線、首すじにかかる透けたヴェールと中世版イラストのよう。一方、抱きかかえられた幼子キリストは子どもらしくない老成した顔をしている。だからこそ、キリストなのだろう。

駆け落ちをしたことでふたりは教会から破門されそうになるがリッピのパトロンであるメディチ家の老コジモのおかげでそれを免れ、一緒に住むことを許される。しかも結婚まで許可されたがそこは女好きのリッピのこと、籍は入れなかった。この話は「イラストで読むルネサンスの巨匠たち」(杉全美帆子著、河出書房新社)で知った。

<壁画博物館>で何枚かのリッピ。その後、ドゥーオモ(大聖堂)に寄り、彼のフレスコ画<洗礼者ヨハネの物語>を見た。この絵の中で踊るサロメが描かれていたが、サロメのリボン状のヴェールが背後に流れ(新体操のリボンが動くさまのよう)、スカート部分は動きの空気をはらむ。この姿を見て「あっ、ボッティチェッリ!」と口に出したがリッピの影響を受けたのは、年代から言ってもボッティチェッリの方であった。

リッピ、行状はともかく絵は好みである。

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今回の旅行、主に土日だがアレッツオをはじめ教会で多くのカップルと結婚式を見かけた。年配のカップルも多く、彼、彼女は喜びが我々にも伝わってくるような笑顔を見せてくれた。但し、イタリアはカトリックの国、教会での結婚式は一生に一度しか認めないのでご注意を。

(5月18日 プラート)

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2011年6月29日 (水)

ヴィンチ村のレオナルド

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ヴィンチ村はフィレンツェから40キロほど、なだらかな山の斜面にある。と言っても不便なところらしく、現地ガイドの女性はフィレンツェから列車、少ないバスと乗り継いで「ほんとにこのバス、ヴィンチ村へ行くのかしら?」と不安を抱えながらたどり着いたそうだ。ダ・ヴィンチの生家はヴィンチ村からさらに上り、バスが道両脇のオリーブにこすれるほどの細い道をくねくね登った場所にある小さな一軒家だった。

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ダ・ヴィンチは1452年4月15日22時30分に生まれた。なぜ、こんな正確な時間がというと祖父アントニオの記述にあり、祖父のダ・ヴィンチへの強い関心と愛情があったからだと本で読んだ(「レオナルド・ダ・ヴィンチ」田中英道著、講談社学術文庫)。ダ・ヴィンチの父は公証人で母カテリーナとは結婚をしていない。両親ともその後、別々の相手と結婚し、レオナルドは祖父の家で育った。わけありである。わけありでも葡萄畑、オリーブ畑、生き物がいる観察にはこと欠かない豊かな自然の中で彼は育った。

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小さな窓を持つ石づくりの生家への小道にもオリーブの木があった。幼い時過ごした生家にダ・ヴィンチの痕跡は何ひとつなく、ダ・ヴィンチが見て育ったと思われる地形や風景の一端が残る。それほど何もない生家への道ばたにポピー(ひなげし)が咲いていた。

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(5月18日、7日目 ヴィンチ村)

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2011年6月28日 (火)

さらばシエナ

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5月18日朝、心震わすシエナを後にした

(シエナ)

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2011年6月27日 (月)

ポストカード

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旅も6日目、シエナ最後の夜、ポストカードを書いた。疲れて文章が出てこない。友人、親戚、家族の3パターンに文面を分け13枚を書いた。ふぅー、やれやれである。書き終えたら12時をまわっていた。

ところで、イタリアから海外への航空便の切手代が1.6ユーロに値上げになっていた。普通サイズの絵葉書が0.5ユーロなので合計2.1ユーロ、一通240円ほどになる。これは高い。

翌日の移動もあり、トランクの整理もする。ヘトヘトになり、バスタブにお湯を張ると入浴剤をポーンと放り込んだ。

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(5月17日 シエナ)

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2011年6月26日 (日)

地図から外れる

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シエナの最終日。カンポ広場からホテルへの帰り、路地をうろついていたらいつのまにか旧市街の外に出ていた。大きく回って帰ろうとしたが、一時間と少し歩いても手がかりとなるドゥーオモが見えてこない。地図を開いて、磁石まで出したが方向が掴めない。

こうなったら、来た道を戻るしかない。もう、午後遅い時間にも関わらず日があるおかげでなんとか戻ることができた。地図に載る<メディチの要塞>に着いた時には迷い始めて2時間をゆうに越えていた。


ベンチに腰を降ろした私はようやく胸をなでおろし、ジョッギングに励む男女をぼんやりと眺めた

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(5月17日 シエナ)

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2011年6月25日 (土)

雨が降って

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雨が降って、風が吹いて、ようやくあたりは静けさを取りもどした。池の水があふれ、2日に渡り金魚が領土の拡大をはかったがその水も退いてしまった。

枝がたくさん、落ちている。雪留めがたくさん屋根の上で転がっている。畑は水分でぬかるみ、入ることができない。時間をかけて家まわりの復旧に努めよう。

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2011年6月24日 (金)

シエナ

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旧市街の裏通りには朝、ずらりとバイクが並び
ヘルメットを納めた通勤者はさっそうと職場へ向かう
あなたも是非、通勤にはバイクを・・

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中世の町は広場を核として市庁舎や
ドゥーオモ(大聖堂)が作られた
人や物や情報が交差し、祭りの中心でもある
広場にはレンガを・・

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中世のトスカーナ、コムーネと呼ばれた自治都市が
その存亡をかけて覇権を競った
シエナにとってライバルはフィレンツェ
敵に不足のあろうはずもなく
戦のためにどれほどの策略が毎夜練られたことだろう
この町のプライドと繁栄のため
シエナには深き夜を・・

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2011年6月23日 (木)

マンジャの鳥

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マンジャの鳥はとても自然だ。運よく、巣立つことができたら人が住む街を眼下に見下ろし自由に飛べぶことができる。親がいない巣でいつもより身を乗り出したり、突然の強風にあおられたりしたら、それで終ることもある。たぶん、雛は生の意味も知らない。

見たことのない世界へ駆られる鳥、ほんの少しの運と不運がこの塔にはある。

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2011年6月22日 (水)

6日目 ジェラートの後で

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自由時間の午後、カンポ広場に近い通りでジェラートを食べた。ビターチョコとミルクのコーンタイプ。言葉がうまく通じず二人目の店員でやっと求めることができた。粘り気のあるジェラートで店員はジェラート容器の中で何度もグルグル回して、丁寧にジェラートをコーンに詰めた。ここが今回の旅行で一番おいしかったジェラート屋となる。

ジェラートの後でいよいよブッブリコ宮そばのマンジャの塔(高さ、102メートル)を目指した。塔入り口の階段を少し登った所でチケット、8ユーロ(約920円)を購入。ショルダーバッグをローカーに預け、カメラだけを肩にする。

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500段ほどの階段を登り終え、はぁはぁ息を切らしていたら、先に休んでいたアメリカ人男性が私を見てクスクス笑った。
「大変だね、君もそうか」だろう。
次の海外旅行から、一眼レフは持たないことを誓う。

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カンポ広場は14世紀にレンガを敷いて建設され、貝殻を裏返しにしたような窪んだ広場である。9つに区切られているのは当時9人制の評議会を現したことによる。年2回ここで行われるパリオ祭では騎馬が広場の周囲を走り、競い合う。走るコースには土を敷くということだが、転んだら馬も痛そうだ。

ある建築家のブログによると「シエナは3つの尾根が、交点を中心に広がる形で発展。その交点がカンポ広場であった。この広場はいびつな扇型で傾斜がついているのは、もともと尾根と尾根の間に作られた広場だったからだ」とある。

カンポ広場の魅力はどうやら<いびつ>にありそうだ。

(5月17日 シエナ)

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2011年6月21日 (火)

6日目 付属美術館

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シエナのドゥーオモ付属美術館に行ったのは6日目午後の自由時間。館内で金色に輝く祭壇画<荘厳の聖母>をとりあえず見てから屋上へ急いだ。というのもシエナの全景を見るのが最大の目的であった。

人がすれ違えるほどの幅しかない細長く狭い屋上から見るシエナはやはり丘の上の町。午前中に見たブッブリコ宮(市庁舎)内にある市立博物館、平和の間で見たフレスコ画さながらの中世が眼下に広がる。そのフレスコ画では向かい合う壁に<善政の効果>と<悪政の効果>が描かれていた。文字通り、善政では街と周囲の農地はうまく機能し、悪政では疲弊したものとなる。この、わかりやすさ。

ドゥーオモ付属美術館というよりシエナ“パノラマ美術館”にふさわしい眺め。しかし、屋上が狭いので人に押しかけられても、やはり困るか・・。

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(6日目 シエナ)

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2011年6月20日 (月)

雨の気配

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毎日、カッコウが鳴く。まだ伴侶のいないオスなのか、巣に最適ないい物件が見つかった喜びの鳴き声なのか、あるいは単に「今日はいかが」と鳴いているのか、判別がつかない。

今週は雨の気配がする。西で暴れた雨だろうか・・。

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2011年6月19日 (日)

ハナミズキ

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白いハナミズキを植えた。ひと月前に求め、植える場所を捜していたところだった。ちょうど枯れて駄目になった木があり、日当たりもよく、そこに決めた。冬が越せたら来年の春には白いヤマボウシを見ることができる。

うまく育ったらピンクのハナミヅキも求めようと思う。

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2011年6月18日 (土)

溜まる

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ここ二、三ヶ月、旅行にうかれていたせいか本とCDがずいぶんと溜まった。旅行から戻ってからは毎日家の木々の剪定をし、疲れも溜まった。それぞれ消化なり、休養なりして過ごそう。

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2011年6月17日 (金)

朝食、そしてエスプレッソ

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・クロワッサン(クリーム入り)
・ハム
・ヨーグルト
・フルーツかケーキ
・コーヒー
ホテルの朝食はビュッフェ・スタイルである。たいがいは決まりきったものとなる。

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ツアーの中に語学に堪能な金さんがいた。金さんは早口で英語、ドイツ語、イタリア語が話せる。彼女は白い日傘で街を歩いた。その金さんになんとか教えてもらう。

「ウン エスプレッソ ペルファボーレ」
エスプレッソをひとつ頼んだ。女性給仕人から返事をもらったので成功である。 

ほどなくしてエスプレッソがテーブルに置かれた。
「グラッ杖」(ありがとう)と私は言う。“ツエ”である、決して“チェ”ではない。金さんは潔癖な性格である。指導に怠りない。

(シエナの朝食)

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2011年6月16日 (木)

6日目(5月17日) カンポ広場

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シエナのカンポ広場へはたくさんの入り口(兼出口)がある。どの入り口から入ってもマンジャの塔と右隣の市庁舎(ブッブリコ宮)とその前に広がる貝殻・カンポ広場、広場の外周を囲む建物の景観に驚かされる。しかし、はじめてだったら市庁舎を正面にして右斜めにある階段を降りたい。階段の降りはじめは両脇の建物に挟まれた先にマンジャの塔が見え、下に降りるに連れ広場が広がってゆく。

広場は下中央に傾斜した
九つの細長い三角形の面で構成されている。これが効いている。

朝早いカンポ広場には観光客は少ない。扇形の外周に新聞配達などの車が出入りし、通勤の男女が急ぎ足で広場を横切る。日中でも夜でも広場は座ったり、寝そべったり人が絶えない。

もし、大量の雨が降ったら、この広場はどんな情景を見せてくれるのか、広場下へ向かって雨水がどう流れるのかが見たい。

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(5月17日 シエナ)

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2011年6月15日 (水)

パンキ・ディ・ソプラ通り

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ホテルを出てカンポ広場へ向かう途中にパンキ・ディ・ソプラ通りはある。午前8時半を少し過ぎた頃、通りの店は開店準備にいそがしく、早めの観光客がそぞろ歩き始める。その中を縫うように歩くのはスーツ姿のビジネスマンだ。と言うのもこのあたりはシエナの繁栄を築いた伝統ある由緒正しき銀行も近いからである。

そんな通りの小さな広場のすぐそば。大道芸人は「今日の出し物の構成と即興の組み合わせはうまくいくだろうか、客に受けるだろうか」なんてことを考えながら顔にあてた金色のハケを動かす。

パンキ・ディ・ソプラ通り、タイミングしだいでは大道芸人のメーキャップも見ることができる。

(シエナの朝 シエナの通り)

追記)パンキは英語で言えばバンク、銀行となる。シエナにはイタリアで最も古いとされる銀行がある。

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2011年6月14日 (火)

シエナの夜

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「・・どうよ」
「まあね」
バイクの調子はいいようである。

(ある夜のシエナ)

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2011年6月13日 (月)

6日目(5月17日) シエナ・ドゥオモの美 その2

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シエナのドゥオモ。クーポラ(丸屋根)の天井には描かれた空。


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ドゥオモ外壁や外の鐘楼に合わせた白と黒を交互に重ねた柱、


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床には象嵌(ぞうがん)の装飾、


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左側廊には図書室があり、両手を広げて抱え込むほどの大きな楽譜が並んでいる。

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外に出て改めて見上げると、ファサードのバラ窓に空の青が映り込んでいた。


(5月17日 シエナ)

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2011年6月12日 (日)

6日目(5月17日) シエナ ドゥオモの美

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フィレンツェと比べシエナ旧市街には町に立体感がある。見る場所によって建物に変化がある。気に入ったのはドゥオモ左の広い急な階段である。年配の方には辛い階段だが、若者が上り下りに肩を貸す。

ルネサンス時代、シエナはフィレンツェと覇を競っただけにドゥオモはりっぱで、塔の白黒交互の大理石が美しい。

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(5月17日 シエナ)

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2011年6月11日 (土)

4日目(5月15日) シエナの夜へ

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シエナに着いた夕方、カンポ広場に面した一番左端のレストランで食事を摂った。飲み物のオーダー変更を断るような融通の利かないレストラン。観光地だからか、それともオーナーの経営方針からくるものなのか・・。

近くのテーブルで小学生の集団がピザパーティーをやっていて、とにかく騒々しい。私たちのテーブルでの会話がうまく聞き取れない騒がしさ。大人の真似なのか、ジュースで乾杯をし、一時も静かにしない。嵐が過ぎ去るのを待つ。

<レストラン・おさわがせ>を出てホテルに戻り、大急ぎで外出の準備をする。歩いて再びカンポ広場へ戻ると空が青くなっていた。旧市街に近いホテルはいい。夜になってもシエナを歩き回ることができる。



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5日目にシエナというストーリーで書いていたら、実は4日目に到着していた。確認しないで書くとこうなる。旅の紹介順序がちぐはぐになったが、まあ、進めよう。
(5月15日 シエナ)

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2011年6月10日 (金)

Siena

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20代半ば舞台に関わっていた時期がある。製作という立場だった。そんな舞台の裏方にふーちゃんはいた。30代はじめ、口ひげをはやしメガネをかけ、痩せており日焼けをしていた。笑うと日焼けした目じりに年なりに皺がよった。雪駄をはじめ身に着けているものが裏方として、とても似合っていた。

舞台作りは公演までの準備をしていくうちにスタッフたちと徐々に親しくなっていく。ある時、ふーちゃんの憤慨を聞いた。地方のあるホール、舞台搬入口に貼り紙があり「業者の皆さんへ」とあり舞台使用に関わる注意事項らしい。ふーちゃんは自分は業者ではないと憤慨した。自分は舞台を作っているのだ。単なる物を納入する業者ではないという彼のプライド。

舞台公演は東日本、西日本をまわるチームがあり、私はその夏、ふーちゃんと同じチームになる。新幹線で大阪への移動が公演へのスタートだった。チームの平均年齢は若く、列車の中、アルコールもあり盛り上がる。今から思えばなつかしいカセットウォークマンが旅の友だ。ふーちゃんのウォークマンを借りた私は、列車の中で大貫妙子を聴いた。この人はこういう曲を聴くんだ!

大貫妙子に<Siena>という曲がある。男と女が馬車に揺られてシエナへ向かう。
「ロマネスクの都
せつない面影
心 魅かれる
ああ シエナへと」
と歌詞にある。この<Siena>に出てくる広場が<カンポ広場>である。騎馬が競争する祭りがあり、広場はそれこそ人で埋め尽くされる。

5月15日、午後6時40分、ペルージャからシエナに入る。

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(5月15日 シエナ)

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2011年6月 9日 (木)

5日目(5月16日) サン・ジミニャーノでの探しもの

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ある心残りがあってドゥオモ広場の一角で、ある店を探した。何年かまえに訪ねた時、そこで買いそびれた1枚の写真があった。その写真はモノクロで、サンジミニャーノ(たぶん)のどこか。小さな広場に2~3センチの雪が降った夜、広場を手前から奥へと人の足跡が点々と残る。奥の街灯が建物を照らしている。そんな冬の夜を写した写真。

その写真が脳裏にあり、イナカーナの冬の夜、真似て撮ろうと何度か試みたが無理だった。自然条件、加えて技術がないと撮れない。私のゴム長靴の足跡は全て失敗に終った。

「ブォンジョールノ」と挨拶し入った店に客は誰もいなかった。おかげで自由に見ることができた。狭い店なので目的の写真はすぐに見つけた。四つ切ほどのプリントで広い縁に納まっているものを選んだ。縁には写真家・Duccio Nacci
のサインが入っている。店員は一人で、確か5年前とおなじ女性だった。

写真を紙に包んでもらい支払いをし「グラッツェ」と言うと、彼女も微笑みながら「グラッツェ、グラッツェ」と2度答えてくれた。この日一番の客だっだのかも知れない。

店を出ると路地や花の写真を何枚か撮り、2ユーロのジェラートを舐めながら目抜き通りを歩いた。そして、ツアーの集合場所であるサン・ジョバンニ門へ私は向かった。

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(5月16日 サン・ジミニャーノ)

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2011年6月 8日 (水)

5日目(5月16日) サン・ジミニャーノの犬 

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街道にあったため交易都市として栄えたサンジミニャーノ。9~12世紀にかけて塔が作られ、その最盛期には72本の塔があった。今残るのは14本。一番高いポポロ宮は事故があったとかでこの日は登れなかった。その分、下から広場周囲の塔を仰ぎ見る。負けずに犬だって、塔ぐらい見る。

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2011年6月 7日 (火)

5日目(5月16日) モンタルチーノの青い空

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ピエンツァからモンタルチーノへ至るオルチャ渓谷はトスカーナのトスカーナたる景色が広がる。東の国に暮らして渓谷というと山に挟まれた急峻な谷を思いがちだが、トスカーナの渓谷はなだらかな丘の連なりからできている。

よく小高い丘に一軒やを見かけるが丘への入り口からてっぺんの家まで続く道は土で、道の両側に糸杉が並ぶ。このトスカーナの地は何世代もかけ、土づくりがされそうだ。食べた野菜のおいしさが土の良さを実感させる。

町はずれにシエナの支配時代に作られたという、りっぱな城塞がある。有料だが、ここから見渡すトスカーナは是非とも推薦したい景観。(←観光ガイドの本みたいだ)

モンタルチーノといえば赤ワインだが、紹介は後日にしたい。

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(5月16日 モンタルチーノ)

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2011年6月 6日 (月)

5日目(5月16日) ピエンツァの風

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ピエンツァはローマ法王ピウス2世(1458年、法王になる)が、自分の故郷を理想都市にしようと建築家に依頼し作らせた。オルチャ渓谷とアッソ渓谷を見下ろす丘ににある小さな町。東西400メートルほどだから、簡単に歩き回れる。

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そうか、一人の権力者と一人の建築家で資金があれば町も作れるわけだ。景観を維持するのには意識とお金がかかる。しかし、いつの時代であろうと日常はピエンツァの路地裏で5月のさわやかな風にはためく。

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(5月16日 ピエンツァ)

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2011年6月 5日 (日)

4日目(5月15日) ペルージャの雨 続き

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ペルージャは雨、雨、雨と書いたが大聖堂に着いた時はまだくもり空だった。大聖堂は14世紀に建てはじめたが、ペストの流行で未完成となった。確かに外壁はゴツゴツむき出しの状態だが、これはこれで悪くない。荒々しく重量感がある。

着いてじきに雨。現地ガイドさんも「こんな大雨ないわね」とこぼす。
午後に見た<国立ウンブリア美術館>は多翼祭壇画が充実していた。国立だけのことはある。例えば、祭壇画に描かれた僧服、縁に細い白いストライプが入り、中に模様が刺繍されている絵と思いきや、間近で見ればその模様は2~3センチ大の人の顔の絵なのである。その細かさ!

まだ降りしきる雨の中、来た時と同様に真っ赤なモノレールに乗ってペルージャを後にした。

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(5月15日 ペルージャ)

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2011年6月 4日 (土)

4日目(5月15日) コルトーナではぐれる

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先のブログでベルージャで雨に降られたと載せたがそれは午後のこと、午前中はコルトーナを訪ねた。コルトーナはアレッツォからバスで40分ほど。この街も小さいが小高い丘にあり、周囲に広がる風景が美しい。

コルトーナは映画<トスカーナの休日>の舞台になったとかで、(確か主演はダイアン・レイン)アメリカ人の観光客が多い。また、コルトーナの町は家賃が高く、若い人は郊外に住む傾向とも聞いた。

コルトーナにはエトルリア時代(ローマ以前)から町が築かれた。教会近くの一画には中世の面影(14世紀)を残す街並みも残る。住居2階がせり出し、下から木が斜めに上の階を支えている。旅、後半に訪ねた教会の絵の中にもこのような建物が描かれていた。

少し汚い話を。中世、家にトイレがなかったのだろう、溜めた排泄物は上の階から中味を路上に捨てたらしい。ペストも流行したわけである。路地を歩く人もうかうか道、真ん中は通れない。そのため、建物沿いの軒下を歩いたそうだ。

さて、コルトーナでの目的はフラ・アンジェリコの<受胎告知>である。フィレンツェのサン・マルコ美術館の<受胎告知>は特に有名だが、それ以前、彼ははコルトーナのサン・ドメニコ教会でも働いていた。しかし、そのフラ・アンジェリコの見学前、教会の広場からの風景に見とれ盛んに写真に撮っていたら、いつのまにかツアー一行の姿が消えていた。教会に入り、一行を捜すがどこにも見当たらない。あわてて広場まで戻るがそれらしき日本人ツアーはいない。再び教会へ。やはり、いない。

コルトーナで、私は途方にくれた。


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結局、ツアー一行を捜し当てたのは教会前の建物の中であった。その建物だが、てっきり教会展示物のポストカードなどを売るショップだとばかり思っていたら、実は<司教区美術館>なのであった。あまりに小さい美術館。フラ・アンジュリコの<受胎告知>はその中で金色に輝いていた。サン・マルコの<受胎告知>を清純とすれば、コルトーナのそれは神々しい。天使とマリアの間に交わされた言葉が書かれている。

「ふぅー、日本に帰れなくなるところだった」
バスの中で胸をなでおろした。

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(5月15日 コルトーナ)

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2011年6月 3日 (金)

カフェ・茶色い川

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カフェ・茶色い川はサン・フランチェスコ教会の小さな広場前にある。観光も終った午後、ホテルへの帰りに寄った。オーダーを取ってくれたのは黒髪の若い東洋人で、聞けば上海出身、キュートな娘だった。

イタリアにも近年、プラート周辺に中国人が多く住むようになり、炊飯器を片手に40キロくらいの荷物を抱えてやってくるそうだ。彼ら中国人の多くは働く工場近くに仲間内で集まり住む。あまり増えていくので居住対策としてイタリア語の試験が導入されたということだ。

その点、カフェの彼女は観光地で自立して働く。武器は語学と機転である。私たちのグループが途中から増えたのを見た彼女はオーダーをとった後、サービスだと言いフルーツ盛り合わせを振舞った。これが彼女の裁量だとしたら、シニョレッリが幼いヴァザーリに言ったように彼女もきっと「もっと大きくなる」。能力しだいで何にでもなれるだろう。

カクテルグラスに入ったアイスコーヒーを飲んでいたら、洒落たじいさんが入ってきた。黒のスーツの上下に襟ボタンを外した白いワイシャツ、極めつけは真っ赤な縁のメガネだ。髪はないがカクシャクとした振る舞い。レジに入ったところからこのカフェ・茶色い川の主人と見た。

(5月14日 アレッツォ)

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2011年6月 2日 (木)

3日目(5月14日) 年下の妻

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ヴァザーリの庭は2階にある。通りから斜めに見上げると赤い花が咲いたポットが何個か見えた。1階が倉庫、2階が住まい、それに2階から続く住まい以上に広い庭である。ヴァザーリは画家であり、建築家であり、作家であった。後世にはルネサンスの巨匠たちを扱った作家として名を残した。彼の著した<ヴァザーリ列伝>にとり上げられた巨匠たちを今回は訪ねる旅である。

「君はもっと大きく、絵もうまくなる。デッサンをよーく勉強しなさい」
6歳のヴァザーリへ、親戚の画家シニョレッリが言ったらしい。

彼の小さな家は部屋ごとに壁面、天井画とテーマを持っている。しかし、ヴァザーリは多忙だった。多才な彼はローマなどへの長期出張も多く、家にいるのは年に数えるほど。家には22歳年下のかわいい妻(ニコラ・バッチ)が残された。その間、かわいい妻は何をして過ごしたのだろうか。料理教室、スポーツジム通い、庭いじり・・質問をし忘れてしまった。

残念なことにふたりに子どもはできなかった。

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市庁舎でヴァザーリの絵の修復を見学する。BSあたりで見かけそうな、困難極める名画修復という感じではなく、ヴァザーリ生誕500周年に合わせた観光客向けも兼ねた修復。この絵<聖母被昇天>でも寄進者と供にヴァザーリ自身が顔を出す。修復スタッフ8人で年間15万ユーロ(おおよそ1,725万円)の経費がかかる。見学者への寄付目的も兼ねており、解説にそれは熱が入った。

(5月14日 アレッツォ)

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2011年6月 1日 (水)

2日目(5月13日) ウルビーノへの未練

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少し話を戻そう。観光初日のウルビーノはトスカーナ州の右隣のマルケ州になる。アレッツォからバスで約2時間、新緑の木々と咲きほこるアカシヤの白い花を眺めながらドライブとなったが<国立マルケ美術館>とラファエッロの生家を見ただけで過ぎた。滞在時間、たぶん2時間。

要は小高い丘の上に築き上げられた城壁に囲まれた14、15世紀の街(ルネッサンス当時)を充分に歩く時間が作れなかったわけだ。だから、街の外観とその中を感じることができなかった。ウルビーノだけで1日を費やすことができなかったことが悔やまれる。
しかし、すてきな街だ。

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(5月13日 ウルビーノ)

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