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2010年4月24日 (土)

『かのこちゃんとマドレーヌ婦人』或いは茶柱について

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『かのこちゃんとマドレーヌ婦人』(万城目学著、筑摩書房)を読んだ。新書版の形をとった小説なので短時間で読める。過日、深夜ラジオで耳にし興味を持ち購入した。タイトルといい新書版といい、紹介がなかったら手にしない部類の小説である。
かのこちゃんは小学一年生なりたての女の子でマドレーヌ婦人は彼女の家の飼い猫である。かのこちゃんの目線がとてもユニークで体験のひとつひとつが新鮮に描かれる。マドレーヌ婦人はふらりとやって来て、かのこちゃんの家に住み着いた猫。婦人の物語り半ばでの変容がこの小説の白眉と言える。こういう転調もあるんだ。ここに著者の作風が充分に生かされている。

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さて、ストーリーに触れることはできないので小説の中に出てきた<茶柱>のことなどを少し。子どもの頃、淹れてもらったお茶に茶柱が立つことがあった。見つけると「わぁー、きっといいことがある!」とはしゃぎ、家族や兄弟に見せた。また、出された茶碗の前でかしこまっていた客人もゆらゆら立つ茶柱を自分の碗の中に見つけた時は一様に顔を緩めたものだ。(どうも、昔の話を書くと池波正太郎ふうになる)昔は選別のよくない安いお茶を飲んでいたのかも知れないし、今のように急須の中に細かな金網の茶漉しが入っていなかった。
それでは今、再現するには。茶漉しがつかない急須を用意し、いつものお茶にクキ茶を少々混ぜれば、茶柱の確立はうんと高くなる筈だ。
・・・やがて、そこかしこで家族や客たちが頭を寄せ合っては一個の茶碗を覗き込む光景が見られるようになる。
「えぇー、コホンッ(咳払い)そこの人、おひとつ茶柱占いはいかがかな?」声をかけられるかも知れない。

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