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2007年5月

2007年5月31日 (木)

イナカーナ 雨にぬれる

<象潟 雨に西施(せいし)が ねぶの花>
高校に入る前、遠い象潟(きさかた)から毎日通学している
隣りの席のコウくんが椅子から立ち、自分の町を紹介した芭蕉の句がこれ。
松島、山寺の句くらいしか知らなかった私には驚嘆すべきことだった。
ナンテコトダ!
秋田の象潟に芭蕉はこんな句を残していたとは
それを隣りの席の友人が自分の町で詠んだ句としてリッパに紹介するとは!
有名な句のみで芭蕉のすべてを知ったかのような気でいた中学生の私。

残念ながら、芭蕉は五月雨の最上川を川船でくだり、
かすめてはくれたものの私の町には寄ってくれなかった。
象潟を後にした芭蕉はその後イナカーナの北の港町や、
温(あつ)き海温泉でも句を詠み、新潟に向かう。

新潟と聞き、<荒海や・・・>ではじまる句もそらんじていたピノキオ中学生でした。
そして、雨にぬれた今日の一句。
<イナカーナ にイルカが お祭りだ>
成長からは遠く、果てしない後退、もしくは幼児化の句と見た。

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・追記 ネットでニュースを見ていたら、李登輝(前台湾総統)さんが
芭蕉記念館(江東区)を訪ね、自作俳句も紹介されたという。
また、6月2日から奥の細道の行程を回り、<武士道><奥の細道>を
基礎に日本文化を勉強したいとも記事にあった。
日本には複雑な思いがあると思うが、その熱心さに日本人として頭が下がる。
芭蕉の足跡をたどられ、思いをどのように新たにされるか気になるところ。
新聞が後取材してくれるか、ご本人が発信されるのか。

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2007年5月30日 (水)

イナカーナで口笛を吹いてみる

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ラジオを聞いていたら、口笛奏者の分山貴美子さんが
四月に行われた国際口笛大会(米ノースカロライナ州)で
優勝したとのこと。コングラチュレーション!
何ヶ月か前、NHKラジオ第一に分山さんが出演されており、
それがきっかけで、<同じ空の下>と言う分山さんのCDアルバムを求めた。
口笛を聞きながら窓から見える木々のみどりをぼんやりながめていると、
・・・ ポッ、ワーンという気分になる。
真似ても、音にならない、うまく吹けない。
そうだよね、口笛を吹くなんてひさしくなかった。
メイ・ヨークがこどもの頃はよく吹いていた。
中学ではサックスになってたけどね。
そういえば、フクミミはシイタケをやりながら
”気持ちよさそ”に吹いていたりする。
きっと、このうえなく愉快なのだろう。
<癒し>という言葉が好きではない。
この・・・な感じは言葉にする必要はないと思う。
イナカーナにはもちろん癒しなんて言葉はない。
イナカーナには口笛がよく似合う。
それでは、皆さんもいかがでしょうか。
口をすぼめて、とがらして、はいッ!
ミッドッ♪ ミッ、ドッ♪ ミッ、ドッ♪
カッコウになれましたか?
次は少し、ムツカシクなります。
シー、シー、ファ、レ♪
シー、シー、ファ、レ♪
ホーホーケキョ、でした。
イナカーナは何日か気持ちのいい天気がつづいた。
これから天気は雨になるという。

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2007年5月29日 (火)

カレーライスのこと

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過日、北の港町でこだわりのカレーを食べた。おいしかった。
家でつくるのは難しいカレーの味である。
場所はイナカーナ州にある山居倉庫に併設されているレストラン。
白い大きめの皿にほどよい硬さのご飯。風味よく濃くのあるルー。
日本のカレー、バンザイといった味。

バンザイ!白鵬も全勝優勝したし、三十日には横綱決定の使者を待つ。
不知火(しらぬい)型の土俵入りが楽しみだ。
脱線を戻そう。

いまはむかし、私のカレーショックは銀座ナイル・レストラン。
仕事の打合せで銀座に通う日々の中で出会った。

上司に勧められるままに食べたのが<ムルギー・ランチ>、
香りのついたご飯に、付け合せのポテト、骨付きの鶏肉が煮込まれた
カレーが確かステンレスの皿に盛られていた。
テーブルへカレーがくると、店の方が上手に鳥肉の骨をはずしてくれた。
最初、量が少ないなと思ったが食べ終わる頃には量のことは
問題ではなくなる。
カレーの香辛料がとても豊かで、なんとも言えない満足感を感じる。
これ以上ない、はじめてのインドのカレー体験だった。

当時は小さな、細長いレストランで厨房も近かった。
テーブルクロスはインドらしい柄のビニール製だったと記憶している。
そういうところも今はなつかしい思い出となっている。
当時、食べにいく度によく面倒をみてくれるインド人でご年配のお父さんがいた。
このお父さん、何度か通う内、自己紹介もしていないのに
私が当時勤めていた会社名を口にして席を案内してくれた。
たぶん、私は目を丸くしていたのだろう。
お父さんは微笑みながら、私の胸に留められた会社のバッジを指さした。
この人が1949年日本初のインド料理店を開いたナイル・レストランのナイルさんだった。
銀座で通えるレストランができた。

イナカーナに戻り十数年も過ぎたある日の新聞朝刊で
私はナイルさんの訃報を知った。
ナイルさんはインドにいた時、大変有名な政治活動家だったことを
はじめて知った。
胸のバッジで私の勤務先の会社名を言って案内してくれたインド人のお父さんは
やはり、ただものではなかった。

おいしいカレーを食べるとよく思い出す・・・いまはむかしの話。
最後に「ナイルさん、ムルギー・ランチ、
とてもおいしかった」ですよ。

ご静聴、ありがとうございました。

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2007年5月28日 (月)

本日はイナカーナ日和なり

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というわけで、
イナカーナの稲の苗もすーくすく成長しております。

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2007年5月27日 (日)

ペロリ・フクミミ 離れ<トラの穴>

イナカーナ住人を紹介する。
以前、<
東ノ都へ行く>に登場したその名をサー・ペロリ・フクミミと言う。
会食時に皆を見渡し必ず「さぁー」と開始宣言するフクミミだが、
サーは称号と理解していただきたい。
サーは<美しい国>を目指すというある国からかつて与えられた。

ペロリ・フクミミ、十数年前リタイアした後(のち)、
離れ<トラの穴>を建立し、そこで日中を過す。
離れに部屋二室あり、一室には収集した書画など展示し、
残る部屋で日がな一日悠々自適の毎日をすごす。
離れ<トラの穴>
なれば柱、戸と爪あと激しく、畳はささくれ立つもをかし
日経はじめ新聞五誌を購読、また見る聞くテレビの音量はすさまじいが、
本人は年相応と気にしない。

また、絵画、書は独学ながらたしなみ、同好の士を集めては展示会を催す。
<トラの穴>の住人たるもの、フクミミあまたの酒こよなく愛し、
それ以上にトラ仲間と談笑、歓談、酩酊する(うたげ)を好む。
宴の騒々しさ、本宅へも伝わり、家人の評判はなはだ芳(かんば)しからずや。
やがて、フクミミ宴半(なか)ばよりついウトウト眠りの世界へ入れば、
自然と客人自らの飲食せしグラス、杯、皿を洗い片付け帰途に就く。
フクミミ夜半に目覚めし折、今宵の宴、果たして夢幻(ゆめまぼろし)か
自問する。その折、月などいでればなおよし。
月に吼(ほ)えるフクミミの姿がそこにあるかもしれぬ。

このペロリ・フクミミ、感心なことに長年シイタケ栽培を行い
収穫せしシイタケを知人友人その他大勢に配るを得意とする。
シイタケをもらったほうは後(のち)にお返しを持参、これをフクミミ、
家人に余得と誇るが、いただいた家人は逆に気を使わせているようで
はなはだきまりが悪い。

フクミミ、海外旅行も好み、過去の渡航日数を数えればすでに
400日をはるかに越え、今も年に一度は海外へ赴(おもむ)く。
ことさら中国を好み、旅行回数は中国のみで十六回を数えた。
なぜ、それほど中国へと周囲は疑問に思ったが、
最初の頃は数多くの絵画、書、掛け軸を携えてイナカーナに戻ったので、
さぞ趣味のための買い物が楽しかったのだろうと推測された。
あるいは、農村ではあたりかまわずニワトリ跋扈(ばっこ)するかの国に
イナカーナ昔日のおもかげでも見たのだろうか・・・。

しかし、近年は以前のように興味をそそられる買い物がないのか、
中国国民総生産のあおり物価上昇に伴い掘り出し物激減したのか、
ほとんど手ぶらで帰国する。
旅立つ前の空港で、アルコール各人へ割り振り購入せしことからも、
フクミミ、夜毎(よごと)の宴が旅行最上の楽しみと思われる。
そのため、フクミミおのずと旅行の発起人・代表人となる。
つい先年まではイナ中友好トラの会代表も務めた。
そのようなトラ仲間から寄贈された門番がいつからか離れ
<トラの穴>玄関脇に立つ。
はじめて垣間見た客人よく人と間違え、
「おぼげだけ(びっくりした)」と報告が何度かあった。
この門番、中国は兵馬俑(へいばよう)から来たらしい。
名前の予定、未(いま)だなく、ただ<トラの穴>門番として立つ。

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2007年5月26日 (土)

シロ 爪 クサ

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来世はシロツメクサでいいとキミ

●<草>名前の由来はかつてガラス製品のクッションとして
められていたことからだそうです。
私はつい最近まで、
草と思っていたのでした。

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2007年5月25日 (金)

シェフ・ゴロタン 温泉みやげを公開する

過日、シェフ・ゴロタンが<ゆ田川温泉>へ行ったことを書いた。
温泉は海坂藩より海側に向かう途中の山あいにある。
映画「たそがれ清兵衛」で宮沢りえが子供二人と
お祭りを見にいったのがこの温泉にある神社
お祭りの出し物に、ひょっとこ踊りがあったはずだ。

「たそがれ清兵衛」では海坂藩の方言が大変うまく使われていた。
イナカーナの映画館の客席でも受けていた。
地元でもあまり使うことのなくなった方言の数々。
なつかしいのとこんな方言まで使ってくれているのかと感心した反応だと思う。
方言指導の方の功績はもちろんだがそれ以上に監督の配慮が大きい。
山田洋次の映画によってこの地方の方言が
大きく認知されたと言っても過言ではない。
海坂藩は山田監督に後世までイナカーナ弁(庄内弁とも言う)を
残したとして感謝状くらい差し上げてもいいと思う。
しかし、時期は逸した。
それにしても、原作者、藤沢周平のおかげである。
ゴールデンウイーク、<松ヶ岡>にでかけたら、映画<蝉しぐれ>の
野外セットを移築、再利用し<山桜>の本番撮影中だった。
海坂藩には藤沢周平の記念館が建てられるそうだ。

映画で印象的に使われていた<がんす>。
言葉の語尾に「・・・がんす」がくる。
「はい、そうです」だったら「んで、がんす」といった具合。
ご年配の方の中には今も使う人がいるかもしれない。
昔、筆者の祖母が使っていたのを聞いた覚えがある。
この<がんす>、「武士の一分」でももちろん使われておりました。

シェフ・ゴロタンの温泉みやげがこれ(写真)でがんす。
ひょっとこの手ぬぐいがいい。薄い紙が巻かれている。
味は賞味された方がご随意に。

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2007年5月24日 (木)

シェフ・ゴロタン 温泉から帰る

家人ゴロタンが一泊二日で温泉から帰ってきた。
温泉は海坂藩中心から一里半ほど離れた山あいにある
<ゆ田川温泉>である。
ゆ田川温泉は今の季節が一年のうちで最もにぎわう。
というのも(たけのこ)が(しゅん)となり、
竹林に囲まれたゆ田川のそれは滋味豊かで大変やわらかく、
イナカーナ中に名を馳せているからである。
この季節、六月はじめまで旬の筍を賞味できる。

ゴロタン一行が宿に入ったとき、
「おいしかった、うまかった」と礼を言い帰る、マイクロバスの一団があり、
聞けば上山(かみのやま)温泉の女将(おかみ)さんたちとのこと。
女将さんたちもこぞって食しに見えられる筍料理だそうだ。
夕飯は筍づくしの皿の数々、最後近くにご飯と孟宗汁が出る。
ゴロタン一行は大満足。
翌日の朝食はお膳に皿数が十四皿もあり(ご飯とみそ汁を除く)
その上品な味付けに感嘆しきりのシェフ・ゴロタンであった。

ちなみに、筍料理に腹づつみならぬ舌鼓を打った宿は
<ずんない旅館>だそうだ。
ふらり温泉街を散策したら、時には足元もご覧いただきたい。

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2007年5月23日 (水)

野 ノ 花

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こんなにも気分のいい夕暮れを
お前にもわけてあげたい。

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2007年5月22日 (火)

オドロカスナヨ!

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気持ちよく散歩してんだよ。びっくりするだろッ。
でかい目ん玉だな。
まさか後ろにギザギザ研いだもん、かくしていないだろうな。

初夏を思わせるような夕暮れ。
ツバメたちは巣作りにいそがしく、
コウモリたちもジーグザグ飛びはじめた。

俺かい、散歩って言ったろ。
水からたまにはあがらないとね。
世間がせまくならあ。
ケンブンをひろめるってやつよ。
そしたら、お前だよ。

まあ、・・・いいか。いい天気だったもんな。
お月さま、まだ出ないかねェー?
んー、(鼻をクンクン、あたりを見回して)匂うぞ、匂う、カレー。
じゃあな、俺はまだケンブンがあるからよ。
とめたら、酒のますぞ!
酔っぱらわすぞ!

近眼カエルは歩道をペタッ、ピタッ跳ねていった・・・とさ。

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2007年5月21日 (月)

タンポポ ノ 風待ち時間

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ヨーソロー・・・、ヨーソロー・・・。
北の港町からやってきたカモメが口ずさんでいた。
海でつかう言葉らしい。
タンポポの綿帽子たちは海を知らない。
海とはどういうところか。
大きさは、温度は、色は、どんなだろうか。
肝心なのは風がうまいぐあいに吹く場所かだ。
ここ何日か、朝晩ときおり雨がふる。
雨に耐えた綿帽子たちは今、
田んぼの水面を渡ってくる風ノ待ち時間。
最初は大きな強い風がいい。
ソラへ舞い上がれたらおだやかな風を。
運よく海を見ることができたら、
カモメに聞いたあの言葉をさけぼう。
ヨーソロー・・・、ヨーソロー・・・、ヨーソロー・・・。

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2007年5月20日 (日)

下ノ池で ツキアイ鳥にあう (後編)

< 下の池で ツキアイ鳥にあう(前編) >からの続き。
翌日、昼近くまで鳥を待っていたから、
<ミタカイ?>を私一人で捜しても文句は言うまい。
もっとも、鳥に約束の時間に来ないと抗議してもね。
きのう、ツキアイ鳥と別れたあたりにちょうど道しるべが立っており、
鳥が時おり目をやっていた。
その「笹ヶヶヶ沢(ささがががさわ)方面」へ降りることにする。
肩幅くらいの山道が続いている。

小雨がパラつき、新緑はますます暗くなり、両側に笹の葉が茂っている。
やがて、山道は胸ほどの高さの白い細かな花に囲まれる。
体で花をかき分けて進む。
少しひらけたあたりで木の枝にさかさまに置かれたコップを目にする。
これが鳥の見せたがった<ミタカイ?>
だろうか。
違う。一息し、湧き水を飲んだ。

再び、笹の道が続き、道は沢と別れを告げた。
山道はますます雨で濡れ、私は山の斜面を登り始める。
沢の水音が遠くなっていく。
斜面の道が細く、足元の側は深い沢である。滑ったらあぶない。
きつい上り坂が続き、何度も休む。

ツキアイ鳥からは何のヒントもなかったので、
私が<ミタカイ>を発見、認知しなければならなかった。

●<ミタカイ>は木々の枝に空が覆われたあたり、
光が射さない草の間にひっそりとあった。
<
横たわった木>だった。
変わった形の木だったから、ツキアイ鳥が好んでいそうに思えた。
先端の割れ具合、穴が開いたその木は恐竜か鳥に見えた。
木の穴が虚空を見る目玉を思わせた。
木の葬送だ。
この木こそ鳥が見せたかったもの・・・に違いない。
しばらく、その倒木の前にいたがツキアイ鳥からの合図はなかった。
「まあ、見つけることもできたし」
私は一人納得した。
誰ともすれ違うことのなかった雨の降る山の中。
目的は達成できた・・・かに思えた。


再び、黙々と中腹への山道を足元を確かめながら登る。
何度目かの
上り坂を右へ曲がったところで、
ふうーーっ、と息を吐くようにそれは視界に入った。
巨木は倒れたを思わせた。木肌はまるで象の肌だ。

このブナの巨木が倒れた時、きっと象のような雄たけびをあげたに違いない。


グオオオォー、グオオォー」

夜の山中に響き渡る最後の声。地響きが山を揺らす。
一瞬の静けさのあと風が沢、谷、山をわたっていく。
ヒューー、サーー、ザワ、ザワ、ザワ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

木ハコウデナクテハ・・・
ツキアイ鳥の声が頭上から降りてきた。
見上げたが、木と深い緑の木ノ葉ばかりだけだった。
私は長い時間、倒れてなお堂々としたこのブナを見ていた。
この日ツキアイ鳥の姿は最後まで見ることはなかった。

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2007年5月19日 (土)

下ノ池で ツキアイ鳥にあう (前編)

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イナカーナの下ノ池は電波塔の下にある。
冬など池は水面がカモに覆いつくされそうな勢いで、白鳥は肩身狭そうにしている。
池の淵で枯れた枝葉を踏みつけてしまい、バギッバリッ。
カモは何事があったかのようにガーガー大げさに騒げばまだいい。
時には二、三百羽のカモがいっせいに飛ぶなどあたりまえだ。
音をだした人が悪いのか。いっせいに飛んで人を驚かすカモが悪いのか、
どっらもどっちだ。
その騒がしいカモは今時分、シベリアあたりでガーガー鳴き、
をからかっているかもしれない。
今日は初夏のような陽射しと暑さで人もハウハウ言いながら
下ノ池、脇道を歩く。
軽いリュックを背負った人間は数が多ければ、
話し声が近くの木々の間から聞こえてきたりする。
あたたかさにまどろんでいたカメが水面にいたが、
私の靴が踏みしだいた木の、そのわずかの音にオドロキ、
水面からたちまち姿をくらました。
そのすばやさといったら、カメからはとても想像できない。
「まてよ、少し話そうよ」と呼びかけても、あとの祭りだ。
下ノ池、脇道も終りに近い頃、木の葉が何層にも重なり陽射しをさえぎり
薄暗い脇道が続くあたり。
木漏れ日の下で、やけにつきあいのいい鳥とばったり遇った。
私が歩くのに合わせるかのように先をいく。
こちらが立ち止まると、あちらもとまる。
ツキアイ鳥(どり)である。
これを何度か繰り返しながら、器用に鳥は地面にくちばしをたてる。
鳥たるもの人に気づけばすぐに飛び立つのがふつう。
あのずうずうしいカラスでさえ私と5メーターほどの近さになると
きまって飛び立つ。
渋い抹茶のような色の鳥。
「すてきな色だね」と私。
「・・・マア、ネ」
「オスだよね」と私。
「・・・モチロン」
「羽でも具合が悪いとか・・・」と私。
「・・・イイヤ」
軽く否定された。
立ち止まると、同じように止まるツキアイ鳥。
ミルカイ?」ぶっきらぼうに鳥がいう。
「見るって、何を?」
鳥はどうも好意で私にあるものを見せたいらしい。
鳥からの好意は、はじめてだったので快諾した。
明日なら都合がいいそうだ。

<下ノ池でツキアイ鳥にあう(後編)>へ続く。

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2007年5月18日 (金)

ビッキャーノ合唱団 団員募集する

イナカーノ州の田植えも峠を越え、夕方の田んぼには人がいなくなる。
田植え機だけがポツリ、ここあそこに残されている。

夜のとばりが降りると(ウン、なつかしい)、もう一回。
夜のとばりが降りると、田んぼは我々カエルのものとなる。
そのカエル数や、天文学的数字さ。聞いてビックリするな!
「ゲコゲコゲコのゲコだ。凄いだろ、ゲコ!」

どうも、カエルは数字が得意ではないらしい。
日中、寝てばかりのカエルたちだったが、
一匹がゲコとはじめるとすぐに田んぼ中が合唱となる。
最初はゲッ、ゲッ。次第にゲッ、ゲゲッ、ゲコ。
やがて、調子に乗りはじめ、ゲゲ、ゲコッ、ゲコッ。
ゲコッ、ゲコッ、ゲコッ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
合唱はビッキャーノ郡からイナカーナ中にひろがり大合唱となっていく。

そんな時、人が田んぼに近づいたりするとうまい具合に
人のまわりだけ合唱が止んでしまう。人が動くと沈黙も移動する。
人の気配が消えると、あたりを伺うようにゲコッ、ゲコッ、ゲコッ。

ある田んぼのそばを人がフラフラ歩いていた。
「おれは、下戸じゃねえーよ」ブツブツ。
どうも、酔っている。
「なんだー、これ!」、ポッと懐中電灯が照らされた。
水面すれすれ、カエルにしてはリッパすぎる立て看板

人の酔っ払いが去ると、田んぼからこんなゲコが聞こえてきた。
「フムム、また、合唱コンクールに出るつもりだな」
「確か、前回はつくばサンロク合唱団に負けたそうよ」
「ボク、ゲコッ、応募しようかな」

それにしても、すごい数のゲコッ、ゲコッ、ゲコッ。
イナカーナ州ビッキャーノ郡、春の宵はさらにふけてゆく。

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2007年5月15日 (火)

イナカーナ 本日の落し物

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山へ行った。池のまわりを歩いた。雨がふった。おにぎりを食べた。
落し物を見つけた。・・・迷ったが届けた。

本日の落し物をお捜しのかた、お心あたりの方はイナカーナ州
落し物 窓口までご連絡ください。
ご連絡のない場合、落し物は次にお月さまが顔を出した時点で
イナカーナの共有財産となります。
イナカーナ博物館 館長がまばたきもせずに見ておりましたので
お早めに申し出ください。
                     (イナカーナ州 落し物係り) 

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2007年5月13日 (日)

シェフ・ゴロタン ツバメにあやまる

シェフ・ゴロタンは川へ洗濯ではなく、フキ取りに出かけた。
イナカーナ、早朝の川の土手は気持ちよく、ソラでヒバリが鳴いている。
さて、フキ取りである。目をこらせばある、ある、ある。
小一時間でふた抱えほどのフキを取った。
フキは土手に限る。

「たらいにだ!」
フキの皮をむくために、大きなたらいで煮たら、どうもおかしい。
ガスコンロの火が変だ。のぞくと、たらいから水がしたたり落ちている。
仕方がないので、中くらいのたらいで煮た。うまくいった。

車庫でフキの皮むきをしてた時、頭上に音がした。
車庫の中へ進入してきたのは二羽ツバメ
ツバメは蛍光灯の傘にとまったり、羽ばたいたり。
「今年もきたね。去年もきた?」と問うが、答えない。
ツバメは巣場所確保にいそがしい。
「ここにダメ、さあ、外へ出て」
今年もゴロタンは心の中でツバメにゴメンナサイとあやまった。
というのも、蛍光灯の下には車が二台。
トリフン爆弾はたまらない。
追うとツバメは車庫内をグルグル旋廻。
巣の場所に最適なので、なごり惜しそうに飛び去るツバメの夫婦。
「どうしてもダメ?」
「悪いけど、ダメ」
これを数日くりかえす。やがて、ツバメは巣場所をあきらめる。

シェフ・ゴロタンはフキがとてもおいしくできたので、
また、土手へフキ取りにでかけようと決心するのだった。
煮物のフキ、そして巣のお断り。
どちらも、あと味はほろ苦く。

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2007年5月12日 (土)

チョン田 トホウにくれる

「だんだん、カラダがいていくような・・・」
チョン田は少し、不安になった。
思えば二週間ぐらい前、近くにいた<吾が輩

田んぼから飛び出していった。(
注1
道路で叫んでた吾が輩の声が遠くで聞こえた。
<あとは野となれ 山となれ>の吾が輩は思いっきりが良すぎる。
<石橋をたたいて渡る>のボク。まったく、土代間(世代間)ギャップだ。
親切に教えても、話しかけてもくれない。おまけにマニュアルもない。
ボクの場合はまだ土として若輩者なんだ。
見て盗めって!ここはリストランテじゃないだろう。
そういえば、お腹もすいた。カラスミパスタが食べたい。
ナントモ、ナントモ・・・。
どうやって、旅にでたらいいのかまるでわからない。
イナカーナの歩き方>だって、読んでない。
「果たして、車はいつ通る?」
このカラダ、どうやって車に手をあげればいいんだ?
乾いてボロボロになったら?ドーロをドロは転がれるもの?

トツゼン、カーン、カーン、カーン。
踏み切りの警報機が鳴る。赤い目玉の点滅。
「ヒャホーーー」
チョン田のカラダはジャンプした。
「着地!30センチは超えたな」
やがて、電車は踏み切りを通過していった。
チョン田は電車を遠くまで見送った。
「なんか、いい色!旅するなら、ボク、あっちがいいな」

果たして、彼はこのまま乾いてしまうのか。
それとも、新しい世界を目にすることができるのか。
田植えもまっさかり。ドーロはチョン田のような土だらけでもある。
注1) <吾が輩はイナカーナの土である参照

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2007年5月11日 (金)

イナカーナに 風の贈り物

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が届いた報告を聞いた。風の強かった翌日のこと。
「朝夕かけて、やっと捜した捜した。ふつうに這ってたんじゃ、見つからないよ。
キョロ、キョロしなくちゃね。背伸びしたり、地面にかおを近づけたり。
360度見なくちゃいけない。そりゃあ、もう、大変なもんさ」
もったいぶって、ナメクージラ族の者が話してくれた。

話してくれたのはいいが、その贈り物がなんだったかまで聞けなかった。
というのも、ナメクジラ族の者はあわてて帰ってしまったからね。
たぶん、私がシオを脳裏に思い浮かべたのを察知したのかもしれない。

ちなみに、私が見つけた風の贈り物は公園に落ちていた
まつぼっくり>である。
イが高校生の時、ロシアから持ち帰ったまつぼっくりは
イナカーナの三倍ほどの大きさで、その巨大さにビックリした。
仮に人がその大きさに比例したら、イナカーナはたちまち
小人の国になってしまうところだ。
胸をなでおろすイナカーナ住人、イと私であった。

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2007年5月10日 (木)

イナカーナに不気味な雲だ

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イナカーナは三日ほど、いいお天気、否、暑い日が続いた。
夕刻、本屋さんからでたら、これからの天気を予感させるソラの様相。
何年か前、写真家のアラーキーが最愛のつれあいを病気で亡くした後、
ソラを写した作品を数多く誌上で見た。
<心のなかに穴が空いてしまった>ようなソラばかりだった。
それは見る側の暗示といわれれば、それまでだが・・・。
ソラはココロを語るのさ。

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イナカーナ 水の王国となる

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田んぼに水が入り、一面の水田。イナカーナは<水の王国>となった。
稲の苗が大きくなるまでの期間限定の王国である。
夕日が海に沈むとき、運よく見通しがよければ、夕日のオレンジ色は
鏡面となった水田に映りこみ、イナカーナ州はすべて夕焼けとなる。
これほどの自然の舞台があるというのに、イナカーナの平野を
見渡せるきのこ山の展望台には誰もいない。
一方、ヴェネチアはリアルト橋、夕暮れの欄干は人であふれている。
大運河に架かるこの橋から見る夕日は建物の間の運河に沈んでいく。
自然と建物という組み合わせが人を魅了する。
カンコウキャクはカンコウキャクを呼ぶ。
関係はないが、隣りのキャクはよく柿食うキャクだ。
ヴェネチアは<水の都>と呼ばれ、地中海貿易で蓄えた富で絢爛豪華な
都市を作った。観光客はイナカーナの比ではない。
さて、イナカーナはここで開き直る。ヴェネチアはヴェネチア、
イナカーナはイナカーナ。世界遺産なんて別にいらない。
なんと言われようがイナカーナは独自の道をすすめばいい。
観光客で気が休まらないイナカーナはいらない。
ほどよく気をつかい、おおいにリラックスがいい。
やがて、田んぼから聞こえてくるのは、ゲコゲコ、ゲコゲコゲコの合唱。
夕暮れたイナカーナは、カエルの鳴き声に包まれる。

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( イタリア ヴェネツィア リアルト橋より  05年11月撮影 )

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2007年5月 9日 (水)

水筒のキオク

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水筒の中身は水か、それともジュース。
とある昼前の公園。
園児たちは叫びながら、公園中を走り回っている。
子供の頃、自分はプラスチックの水筒に
何をつめてもらって出かけたのか。
こんなにかわいい水筒ではなかった。今の水筒はステンレスで味気なく。

こんなシーンでは記憶の<端っこ>をたどる。
楽しかった筈の思い出もほとんど忘れている。
鉄人28号をリモコン操作してたことは、覚えているが・・・。

真夏日のような公園。
もうすぐ、昼のお弁当。
からだは紫外線をキオクしたのだろうか。

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キャンティ・ワインとイナカナ食堂の中華そば

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以前のブログ<イナカーナ トスカーナ州と姉妹州に>の中で
フィレンツェで飲んだキャンティ・ワインに触れた。
その折、「もっと飲まないとわからん」と書いた。それから、2年。
キャンティ・ワインがいつのまにか知らないうちに自宅にあったので飲んでみた。
ラベルにDOCGとあるので、いいワインらしい。
コルクを抜くと香りもテイストもあのフィレンツェのキャンティと風味がとても近い。
ボトル半分ほど飲んでようやく「キャンティ・ワインの味って、こうなんだ」と納得。
空気となじませたら、もっとおいしく飲めるだろう。

二年前のフィレンツェでの夕飯。その狭い店でひとり日本人女性スタッフが
とてもハツラツと働いていた。私も若い女性だったら一度は好きな海外で働きたいと思わせるような、その姿を見ててうれしくなるいい働きぶりだった。
つまり、元気で、楽しく、ウイットに富み、同国人にも愛想がいい。
その晩、私ははじめて海外での記念すべき誕生日を迎え、
お祝いケーキのローソクの火を吹き消した。
乾杯はもちろん、キャンティ・ワイン

しかし、イナカーナで再び味わったこのワインは、とてつもなくおいしいとまでいかない。
うむ、例えるとしたら、いつも出前で食べる州庁舎そばのイナカナ食堂の
中華そば>かな。
イナカーナ州全体にもおいしいラーメンは数多くある。
イナカーナ州の二都のひとつ、<北の港町>にあるムーンラーメンのスープは
とびうおダシでおいしい。チャーシューもやわらかい。
以前、雑誌でも北の港町ラーメンは特集が組まれていた。
最近、よく足を運ぶ海坂藩、田んぼの中のラーメン屋さんは麺がおいしい。
いつも混んでおり、午後少し遅くなるとのれんが非情にも下ろされていたりする。
確かに、人気のラーメン屋さんは麺、スープどちらもいい食感と味を持っている。
去年、北の港町、国道沿いにできたラーメンチェーン店に一度いった。
一杯290ダーズンだったか。残念ながら、二度足を運ぶことはなかった。
(注.ダーズンはイナカーナ通貨のこと。1ダーズンは1円と換算していただいて結構)
そして、いつも出前で食べるイナカナ食堂中華そば
500ダーズンである。
飛びぬけたおいしさはないが、スープはほとんど飲んでしまう。
そんな、ラーメンである。メイが帰れば必ずリクエストするし、
ラーメン好きの親戚のエゲレス大使夫人もイナカーナにいらした際は
とても楽しみにしている。

キャンティ・ワインもそんな位置付けができそうである。
フィレンツェ人にとってなじみのワインというがする。
DOCGだから、そんな程度のワインではないと叱られても甘んじて受けよう。
つまり、さらさら、私はワイン通ではない。

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2007年5月 7日 (月)

イナカーナ州 シロバカーキの戦い

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州議会で高いびきだったビッキャーノ郡代表は議会場の机の上で
半眼(はんめ)を開けた。すでに誰もいない。街路灯はどうなった・・・?(注1)
あくびが止まらない。ひょっとして、これが人種(ひとしゅ)のストレスというものか。
ただ眠いのか。よく、わからん。

つい最近、田んぼにトタクータが入り、田が起こされた。
そういえば、その頃、どこかの土が道路で叫んでいたな。(注2)
そして、すぐに水がドドー、ドドー、ドーッと入ってきて田んぼはひたひたの水面となった。

これが、トラクータからの宣戦布告だった。
毎春、繰り返される<シロバカーキの戦い>の火ぶたがここに切って落とされた。
イナカーナのあそこでもここでも毎日の戦いで、昼寝の暇がない。
眠いのなんのって。オーットー、人種が乗ったトラクータがごう音とともにせまりくる。
逃げろや、逃げろ、スーイ、スイ。トラクータの刃に巻き込まれたら、いっかんのおわり。
聞けば、わしらの先祖に大変な武将がいたそうだ。
ゲコ伝(人種でいう口伝のこと)によると、その名を<カエサル>と言う。
あいにく、われらには残された文書はないがな。

人種界では少子化で騒いでいると聞く。
なんというぜいたく、ナンジャクな。わしらは毎日の戦いである。
その戦いに勝利したあかつき。夜な夜な、子孫繁栄の大合唱が始まる。
イナカーナ中に響き渡るゲコゲコゲコのコーラスライン。
うむむ、また、オオあくびが・・・。街路灯も決まったらしいのお。
もう、しばらく寝るとするか。


(注1) <イナカーナ 街路灯を決定する> 参照
(注2) <吾が輩はイナカーナ州の土である> 参照

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2007年5月 5日 (土)

イナカーナ 街路灯を決定する

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かねてより懸案だったイナカーナ街路灯がこのほど州議会で決定された。
トスカーナはフィーレンツェの街路灯
(注1)ビックリ、いたく感心した州議員より
提案されていた街路灯案が本日検討された。

注1)<イナカーナ州 トスカーナ州と姉妹州に>参照のこと
州知事キミジカーノは「もう、待てん。決まるまで、議会は終わらん!」の
号令のもと、議事進行がなされた。
各地区代表議員の質疑応答ではどの代表も街路灯とは関係のない質疑で
議長を悩ませた。
というのも、街路灯案はたったひとつだけだったからである。
ようするに地区代表はがうれしくて、しゃべりたかっただけだった。
「春たけなわ、よもぎ入りおはぎのうまい季節となりまして・・・」
「そもそも、わしの先祖はイナカーナ州の基礎を築いた・・・」
「最近の若いもんはイナ道を全くわかっておらん・・・」
唯一、ビッキャーノ地区代表だけが反対したが、この代表は連日の疲れからか
(シロカーキの戦い)眠り込んでしまい、投票のときには高いびきで棄権とみなされた。

結果、賛成多数で提案の街路灯案が可決
議会終了後、州知事キミジカーノは「イナカーノ自然はすべての教師。
姉妹州トスカーナはヴィンチ村のレオナルドを見たまえ。
今回、このような街路灯が可決決定されたことは我がイナカーナ州の
計り知れない景観財産となるでしょう」とめずらしく、まともに語った。
一方、今回の街路灯の決定により街路灯に調和する整備のほうが
よっぽど大変という声も数多く聞かれた。
今回の決定で州知事、地区代表議員の真価が試される議会後半となる。

かくして、スイセン郡選出代表議員より提案された
イナカーナ街路灯写真)が決定された。

但し、今回の街路灯が全体、もしくは地区ごととするかの詳細は確認したが不明。
というのも、移り気なイナカーナ州各地区代表のこと、もうじき咲くすずらん
目が行く議員が出て、ひと騒動は必至と思われるからである。
(イナカーナ州 議会だより 春号より抜粋)

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2007年5月 4日 (金)

イナカーナ 十二滝と他国の石

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イナカーナの地元観光の第二弾は<十二滝>であった。
ときどき小雨がちらつく昼。
道路から山道を降り、少し歩いたところにその滝はあった。
細い滝が左側、幅のある滝が右側にある。
どちらもそれほどの高さではないが、様になる大きさと言えばいいか。
滝の水に洗われてさまざまな小石が水際にあった。
「いいがあそこにも、ここにも」と拾う。
石をハンカチに包む。そのまま拾いつづけた。

「だめ、石の持ち帰り」とシェフ・ゴロタン。
「こういうところの石を拾うとレイがついてくることがある」そうである。
仕方なく、ポケットから取り出し石を元に戻した。

これがテレビドラマだったら、
<全て捨てた筈の石だったが、一個の石がまだポケットの片隅に残っていた。
この主人公はその石の存在を知らないで持ち帰ることになる。
帰る主人公の後姿をじっと見ているなにものかの気配・・・。>
よくある再現ドラマである。

そして、他国の石。
目の前にスフィンクス、背後にピラミッド。実際に見ると言葉を失う。
その姿、俯瞰(ふかん)、熱さ、空気、色、光線を目に刻む。
エジプト人の夫婦が腰を折り、地面の何かを拾っている。
見渡せば粉状の黄土色の砂地。けっこう、ゴミも混じっている。
ピラミッドのあるギザは街に近く、多くの観光客による汚れも多い。
その砂地に小石が所々に落ちている。
「そうか、拾っていいんだ」
エジプシャンのまねをする東洋人。
姿形の良さそうなを拾い、
「ふぅー」と吹いて、息でほこりをとばしたのは数年前のこと。
その時の小石が部屋の戸棚に飾る小ビンに収まっている。
幸いなことにエジプトの<ファラオの呪い>は
未だ、ない・・・ように思える。

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( エジプト ギザ  2005年12月撮影 )

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2007年5月 2日 (水)

イナカーナ 虹の彼方とチューリップ

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五月一日の天気はほとんどくもり。
夕方、イナカーナに雨が降る。
その後、日が射したと思ったら、車の運転中、街に虹がかかった。
180度ほぼ半円を描いた少し薄めの虹である。角度を測る定規に似てる。
こういうチャンスにカメラは手元にない。
アワワッと帰宅し、カメラを持ち出したが時を逸していた。
すでに虹はなくなろうとしている。
しかし、サム・ウエー・オーバー・ザ・レインボウ、虹は消えるから価値がある。

話は変わる。
侘び寂びの茶道を確立した利休。
利休と言えば、時の太閤(たいこう)秀吉を自宅の茶室に招いた。
その朝、利休は茶室前に咲く朝顔の花をただ一輪のみ残しすべて摘み取る。
そして、朝顔のつぼみを一輪、茶室の床の間に活けたという。
果たして、招かれた秀吉はどのような反応をしたのか・・・。
これは女性作家の小説にでてきた話だったろうか。

仮に私が利休だとしたら、スキップでもしながらチューリップの花を摘む。
ピンク、白、赤、黄色、すべてのチューリップの花を摘む。そして、
茶室にハーブでも炊き、薄暗い床の間にほんのり光るのはチューリップ。
秀吉は無言でその花を見つめていた。
「なんとも、気にいらぬ」
チり、チり、・・・チり。
茶室には沸いた湯の音だけが聞こえていた。
「・・・利休、め」秀吉は声に出さずにつぶやいた。
摘んだチューリップの花びらは各地の花祭り用にクール便で送り、
球根は次の季節用として販売する。
私、利休は元々堺商人でもあった。

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