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2007年4月28日 (土)

<ロッキー・ザ・ファイナル>における階段の考察

1_5<ロッキー>にストーリーを説明する必要はないでしょう。
最初の<ロッキー>を見逃した私はその負い目を<当りの宝くじを無くしてしまったような思い>で過してきた。何作目かは忘れたが、アポロの敵討ちの作品は楽しく見た。体を鍛える、懸命な、ロッキーの姿にテーマ音楽が重なると、それだけで自分も一緒になり、がんばれたような思いとで言えばいいのか。

そして、今回の<ロッキー・ザ・ファイナル>。
さびれた街、かつての練習場、エイドリアンとの思い出の場所、昔送ったことのある少女、反抗する息子、自分のレストラン、客のリクエストによる試合の話、ファンへの記念写真、・・・など30年という時の重みを丁寧に描きつつ、ロッキーの胸の奥に今なおくすぶる情熱を見せてくれます。この年齢にして体を鍛えた試合もしてくれます。試合判定もツボを押さえたもんです。脚本も書けることがスタローンの強みと(かつ弱みだと)両方あるのでは思います。


そして、本題の階段についての考察
<ローマの休日>を比較対象とする<ロッキー>における
階段 その位置付け
ローマは ジェラートを舐めひとやすみするステキな出会いの階段として。
ロッキーは 誰もが一度は必ず、または思わず駆け上りたがる階段として。


階段
その効用
<ローマ> 最初は(特ダネ狙いの)下ごころがあろうと、付き合う過程のステップを経ることで本物(の恋ごころ)になりうる。
<ロッキー> この階段を駆け上がることで誰もがロッキーになれる。たゆまぬ努力とひたむきな意志で栄光をつかむことができる気持ちになれる。但し、昇るも降りるもその人次第。あきらめない気持ちがポイントとなる(これが難しい)。

私がこの映画にキャチフレーズをつけるとしたら、
「自分をあきらめない」より「階段をあきらめない」となる。(もちろん、これではヒットしないが・・・)
このロッキーにおける階段ほど見てわかりやすいたとえはない。
フィラデルフィア美術館の正面階段はロッキーにおける、昇る、到達する、情熱を燃やす、耐える、がんばる、前向きな、人生をあきらめない階段なのである。
今風日本だったら、団塊世代応援 エ・イ・ガ かな!

以上、人生階段になってしまった感があるが
フィラデルフィア美術館正面階段は映画<ロッキー>により
<ローマの休日>スペイン広場階段に次ぐ有名な階段となったと言える。

話はそれるが<転校生>における神社の階段は体の入れ替わり階段でしたね。
<ローマの休日>はいい意味でわざとしたきっかけ階段
世界カイダン・ツアーが組めるかもしれない。楽しみだ。

最後のクレジットで、ロッキーの階段を駆け上がる人々を見せるが(子供、老人、太った人、などの普通の人)全員集合のカットは不必要と思われる。この映画のためだけのエキストラに思えてしまうのは私だけでであろうか・・・。(うん、当たり前のことを生真面目に言う、なかなか考察っぽい律儀な終わり方。これだな!)

2_4

( ローマ スペイン広場階段   市内はほとんど高い建物なので朝晩の撮影条件はきびしい。 05年11月撮影 )

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